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6月8日(土)今朝の新聞を見て~離党から1ヶ月半

  6月8日(土)、今日の新聞を見たら「民主党富山県連の常任幹事会が昨日あった」と書いてある。当然、私はこの場に居たのではないので、こういう書き方をさせていただいている。その前の会が、1か月半ほど前の4月22日(月)にあって、明日の午前中から民主党富山県連大会が催されることが決定していました。
 今回の選挙結果は4月14日(日)未明に結果が判明し、次点に終ったのはご存知かと思いますが、実は今年の選挙は前回より1週間早かったため、実は市議会議員の任期は23日(火)までありました。
 その23日に、県連の三役宛で「常任幹事の辞退と離党届け」を県連幹事長に提出していただき受理されました(その場では「何れ常幹があるだろうけど不参加で良いですよ」との返事もあった)。
 さらに県連大会にも来なくても良いとのことでしたので、明日の大会には出席致しません。
 この期に及んで言い訳など話ししたくはありませんが、離党の意思を持ったのは、ちょうど1年位前だった。「総選挙前に離合集散と政界再編の動きがあるから」ということで、その場は身内だけの話で終わった。
 思えば、1999年5月に故・石井紘基衆議院議員の事務所の門を叩いてから13年の月日が経っていた。民主党の出身母体はバラバラ(「市民草の根派」「労働組合」「旧自民党」他…苦しい言い訳もして来た)、だけど官僚政治に終止符を打てるのは「既得権益、しがらみ」の無い、この党派しかないと…かなりの想い入れとモチベーションを持って運動してきた。
 翌年の小泉旋風にほんろうされ、特会改革と脱官僚天国の急先鋒であった「石井紘基」代議士の基で秘書をさせていただき、地元(世田谷)と国会を行き来した。
 2002年10月25日に先生が凶刃に倒れて、あっちこっちの選挙事務所に事務員としてお世話になり、2003年12月に帰郷(実は「この国の真実を皆さんに知らしめたい」と思い、石井紘基さんが1994年の羽田内閣の総務政務次官であったこともあり、代議士がご存命の頃は2003年の総選挙の出馬に照準を合わせていた)。
  2004年7月に行われた参院選との同日選だった県議補選(高岡市選挙区)に告示1週間前に出馬し次々点、9月から前・衆議院議員の村井宗明氏のお手伝いをさせていただきながら翌年5月からは、その年の7月に行われた郵政選挙で富山県第3区の向井候補の基で闘い惜敗、あらためて2005年8月から正式に村井氏の基で秘書を務めさせていただき~2007年・逆転の夏の参院選、2008年11月に秘書を辞め、2009年4月に富山市議会議員として初当選、6月にはいつもギリギリで当選していた石井氏門下の花輪智史都議(現在は維新の候補者)の応援に行き、前回の倍の票を確保し再選、そして政権交代。
 私の想いと政権運営が錯綜しながらも頑張ってきた4年間だった。昨年の今頃から何か煮え切らない想いを持ちながらも、村井宗明氏への最後のご奉公、衆院選を支えたいという想いで、民主党に留まり続けた。衆院選後に離党という方法もあったが、時すでに遅し、結果はご存知のとおりで、現在に至っています。

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