歩いた会った語った
おかげさまで、総アクセス数 2万突破!
「地場もん屋」と「プチマルシェ」
この前、念願だった「食」の周辺のことについて、やっと市場関係者の方とお話しすることができた。市議会では「地場もん屋総本店」の開業にこぎつけるまでの問題のこともあって、俄かに関心が高まったし、田園地帯や中間山間地に少し足を延ばされると、いたるところに「地場もん屋」というのぼりが設置されている。さらに一方「プチマルシェ」という聞き慣れない言葉が飛び交った。すでに6月6日と7月25日に開催されている。
「何のことだろう?」と思われる方も多いとは思うが、いわゆる「農産物等の直売関連のことだ」と言われれば、何となく分かる方も多いと思う。全く否定・拒む立場の者ではないが、今や青果は、空前の「直売店」「朝市」ブームの中にあるそうだ。
「安心・安全」「地産地消」「新鮮・美味しい」「食育」「食料自給率40%」等の掛け声が追い風となって、はっきりした統計が無い(これも問題)そうだが、相当のシェアを占めるようになって来ているらしい。関係者の方も、元々(富山では)7つの農協が音頭をとって地域の直売店を(良くも悪くも)管理・運営していたそうだが、流通・販売・管理の規制緩和が進んで来て、この先ますます、この流れは拡がるだろうということでした。
「地場もん屋」は、その一連の流れの中で各地域・個人が旗を揚げ増える中、そうであれば富山市としては予算化し、統一の「のれん」「のぼり」を作って登録・加盟店を募って広げていこう!その中心に総本店を作ってネットワーク化しよう!という構想の中に現在がある。
そんな中、やはり問題点が大まかに二つほどあるという。アンテナショップとしての総本店は分かるが、①その総本店に連なる「入と出」・在庫・流通、各直売店からの商品情報の発信・管理等の具体的なネットワークが無いという。その状態で指定管理者制度を利用して業務委託?の理由が分からない。②「安心・安全」とは言うが、少なくとも農協が嘗て全ての農産物のサンプリング調査を含め「病害虫、農薬、食中毒汚染」の管理・指導を行っていた。いろいろな面で農協と連携できない現状から、どこが「そういった管理・運営」をして行くのか?(ちょうど取材中に自治体関係者から連絡があり、結局「㈱まちづくりとやま」がやることになったらしい)ということも疑問だ!と言う。
一方、総務省が音頭をとり、関連9府省庁が関わっている「全国プチマルシェ構想?」というのがある。あるセミナーを訪れた時、講師の方が元スーパー経営者でいらっしゃって、「その手のプロの方々から言わせれば、地域が自主的に行うのならともかく、国が予算(交付金←ココにもあった!)をつけて大々的にやるような代物ではない」とおっしゃっていた。
約千か所の「地方市場」と80の中央卸売市場(掛尾町にある富山中央市場もその一つ)、生産者⇒市場⇒仲卸⇒各店舗という形のシステム(市場)も一時の3分の1位になってしまったそうだ。車社会の発達、流通革命による人の流れも変わり、商店・中小のスーパーは経営が成り立たずに閉鎖の途が止まらない。青果生産において、全国で最下位を争う富山でも「青果に関しては自給率は80%もある」という。要は「食育」という観点からも現代日本人の「食」のバランスは悪いという。そういえば、戦後まもない頃、アメリカの小麦の過剰な豊作解消のために(その際の様々なプロパガンダ、例えば「小麦はアミノ酸が豊富で頭が良くなる」とか等)、日本の「パン食」が定着した!と言われている。
私の友人が「美味しいモノはエネルギー効率が悪い」と言っていたのを思い出す。確かに和牛を始め、日本の畜産物は世界に冠たる美味な食材としても有名である。しかし、その元となる飼料(とうもろこし・大豆・小麦等)は9割が輸入に頼っている。そして、生活習慣病予備軍と言われる子供たちが急増していると聞く。話を伺った方も「私たち世代は、ただでさえ現役世代が少ない中(少子高齢化)、子供たち世代の(大人になっても)扶養という事態にもなり兼ねない」と、その通りだと思った。さらに直売ブームの中、「家庭菜園と農家」の区別も曖昧となっており、中には納税義務を怠っている方々も増えているとのことだ。
新しいことを始めるのは結構なことだが、結果「自給率は変わらず、地方も国も予算だけ使ったお祭りだった」という事態にならないように、嘗てからノウハウ・技術を持っていらっしゃる方々の知恵・参入も取り入れ、考え、すすめて行かなければならない。
民主党代表選初日

8年振りだか?9年振りだか?の国民(党員・サポーター)を巻き込んでの代表選が始まった(「2年に一度行われる代表選に参加できます」といって約9年間、国会議員の秘書として地域活動して来たものとしては「やっと、その約束が果たせて良かった!」というのが率直な気持である)。
朝も早くから、各新聞社・マスコミ・通信社から電話(どちらに決めましたか?)が鳴りっ放しであった。ついでといっては失礼だが、某陣営からも電話があった。とにかく、ここぞという機会にいろいろなことを捲し立てた(向こうから取材してくれるのだから、こんな都合の良いことは滅多にない)。候補者のことより「政権交代の意義・意味」…マニフェストより「その実現化」を肌で感じさせてくれる体制(新内閣の布陣、党の在り方、政治任用)…などが判断基準だ!と伝えた。
住民に一番近いところで活動している地方自治体議員(私たち)の「悩み・立場が政策に投影・反映されている(キャッチアップできている)」と感じられそうな(体制を確立できそうな)陣営に投票する!と言い続けた。
とにかく、この場を借りて皆さんに訴えたい!
マスコミ・国民(市民)は、もちろん両陣営も、この代表選を「日本の将来(私たちの未来)」へ上手に使ってこそ、やっと!国民が(ちょうど1年前に)せっかく選択した「政権交代(もったいない)」を生かすこととなり、真の日本の「民主主義」が始まるのだ…と、この機会を好転材料とすべきである。
地蔵尊祭り
昨日、納涼祭のない熊野自治新興区内の島田という町内の「地蔵尊祭り」に出かけてきました。お経をあげられるお坊さんは、 ご本山が永平寺であられる、すぐ近くの蜷川にある最勝寺(曹洞宗)さん(…といえば、アニメ「一休さん」の蜷川新右衛門ゆかりの地で有名)。
住職の話によると『本来は毎月24日が「お地蔵さまの日」である』という。特にお盆のこの季節に集中して町内行事として行われるようになった。一般的に地蔵菩薩は「地蔵信仰」と結びついて地域に馴染みが深い。
「南無地蔵尊菩薩」と正式には言われるが「その菩薩の心が大事である」という。願いことも大事であるが、「菩薩の心になりきって、分け隔たりなく世の中を見る視野、俯瞰して物事をなす心を養う」行事でもある…という。
般若心経を唱え、地蔵真言 「オンカーカー・カビ・サンマーエー・ソワカ」を繰り返しお唱えすることを一つ覚えていただきたい…と一連の行事を終えた。
これで、完全に私の一連の夏祭りを終えました。
今だからこそNPOを考察する
昨日、私が理事で属しているNPO法人の代表と会い、そして今度、立ち上げる私が属する予定のNPO法人登記設立準備会の5~6回目の会合がありました。主な議案は、①新しい理事予定者の紹介と理事の最終的人選・了解日程の確認 ②NPO法人設立に向けての事業内容の方向性確認 ③当面おこなわれる予定事業の確認 ④自然エネルギー関連・実験プロジェクトの再始動および視察日程と行動・報告の確認 ということでした。
最近、ある筋の人間から「行政の不穏な動きがある」と聞きました。鳩山前首相が「新しい公共」ということを言い始めて、「現行法人(法律的な不備)の資金不足な状況」を捉えて、各担当・相当の「各地方自治体の部・課が急激にNPO法人に接触し始めている」というのだ。内容は、「事前に市民団体等の動きを先回り、キャッチアップ」して、「役所の外郭団体の仕事にしてしまおう、若しくはNPO法人等を資金面でひも付きにしてしまおう」という動きらしい。本来のNPO法人の「民間行政」という魂(行政の市民目線から外れた非効率な予算膨張主義「税金でやらなくても良いだろうという分野」からの脱却)から言うと逆行した動きである。NPO法人等の公益法人化は、「市民モチベーションを下げるばかりでなく」「新たなる既得権益化を招く」ので注視して行かなければならない。

菅総理も市民活動家出身の総理であることを自負していらっしゃるのであれば、来年度予算に「新しい公共」の税制上での法的根拠を持った優遇措置(税金の一部民営化=NPO法人等への寄付金控除の大幅な拡大)を盛り込むべきである。報道されている(市民の逆切れを招く)ような票の取り込み等している場合ではないのだ!せっかく充分な休息のおかげか?すっきりした顔をなさっていたのに、奥さんと何をお話しなさったのやら、甚だ疑問に感じる日々である。
町内の納涼祭~明けて朝市~第1区総支部地区の納涼祭

昨日は夕方から隣の自治新興地区の西荒屋(新興住宅地)の納涼祭に顔を出して、わが町内の納涼祭(熊野自治新興区内のトリ)に駆けつけました。お隣は、どこの誰だか分からないので、スーツ姿で30分ほど支持者とお話しさせていただき、速攻で家に戻り浴衣に着替える(1丁目町内は今年「おわら」を披露することとなっており、踊ることを約束していたので)。
7時半位には会場に駆けつけ、来賓席へ暫く町内の役のある方に、ご挨拶させていただき、まずは1~3丁目の方々と話し込む、間も無く自治振興会町を始め、連合会長、県議会議員、私、何故か?隣の自治新興区在住の自民党市議と挨拶が続き、暫くして町内の方々のところへと消えて行きました。地元の地歌の盆踊りが始まると早速、参加。
町内会の「おわら」が終わると引き続き4~6丁目の皆さんのところへ、4丁目~5丁目の方々に移る時に村井代議士が現る(何か所目にあたるのだろう?15分ほど滞在して次へ向かった)。気が付けば、もう既に2時間ほど経っていて、祭りも終盤となっていた。政権後1年の市民の評価、代表選のこと(ほとんど良い話はない)、報道・マスコミのこと、予算財源のこと、と多岐に渡った(ついでに私の生い立ちまでも)。

一晩たって、今日は若竹・恒例の朝市から始まり、午後は「北方領土返還要求富山県大会」に出席、夕方~夜にかけて、村井代議士の事務所がある柳町自治新興区の納涼祭に参加、5年ほど通い詰めただけあって、知っている方もチラホラいらっしゃって、市政運営についても熱く語られる方々もいて、あっと!いうまに時間が過ぎ去ってゆきました。

私の今年の納涼祭関係は、今日でほぼ終了、一昨昨日の八尾高校出身の市の職員・議員による高啼会親睦会を含め約1ヵ月間のお盆時期の行事が終わったこととなりました。
そういえば、そろそろ本場の「八尾おわら祭り(風の盆)」が始まる頃、来月の本番に向けて、前夜祭が連日行われている。高校当時、放送部の部長を1年の3学期から始めることとなって、八尾の街に放送施設設置に「てんやわんや」になったことを想い出す。
納涼祭のなかった町内の観音祭
昨日の夕方、2件の観音祭に行ってきました。江本と小中というところです。いたるところ、さまざまな地域で行われていたということですが、熊野自治振興会内で新年会や納涼祭のなかったところに、お邪魔させていただいたという格好になりました。
1件目の住職は「日々の仏心の延長にある。灯をともし、お線香をたき、お花を手向け、水とお供え物をそえる。その何気ない普通の行為から…今日という日に皆さんとお集まりして感謝する…云々」と語られ、最後は皆さんとの御詠歌による合唱で締めくくった。
2件目の住職は「地蔵尊祭は主に願いことを唱える場で、観音祭は『元気な時は他者からの気をいただいて、疲れている時は他者に気をお配りして…』というように、元気とはお互いに『気』をやりとりしながら成り立ち、そして皆さんの日々日常がある。普段は単なる観音様の格好をした石像で、今日は皆さんの『気持ち』をこの石像に注ぎ観音菩薩が現れる日…云々」と強調されていた。
それはそうとして、どこでも本尊が公民館の横にあるのはどういうことなのだろうか?公民館のある場所に移してきたのか?節目々に人が集まる場所の横に公民館を建てたのか?何れにせよ、これも機会(きっかけとはいえ)というもので、新興住宅地に住んでいると縁のないコミュニティ行事で、また一つ勉強になった。
2010 お盆
13日(金)お盆の初日、地元ほかの陳情・要望などの視察や事情を聞きに、5ヶ所ほど午前~午後にかけてお伺いした後は、いよいよ私も人並みにお盆に入った。

3時頃までに妻の実家(上市町)に向かう。上市町は「薬の富山」を象徴している地域で売薬さんも多いところ、全国的に有名な「薬」の製薬会社の本店もある。全く私の選挙区とは関係ないが、中間山間地~中心市街地~田園地帯と南北に広い町で海こそないが、実家の隣接している所は、富山市の「水橋」という地域で日本海の魚場やウォーターフロントへと連なる海の街。その日は夕方から車の運転を忘れて、花火を横目にまったりする。

翌日は昼から楡原中学の同期会(昭和46年卒)が始まる。当時の担任の先生も含めて20名ほどが集う。68名の卒業生だったので、ほぼ3分の1の生徒が集まったことになる。神通川を挟んだ旧細入村・旧大沢野町下タ地区の子どもたちで、現在は全校生徒を集めて、やっと私たちの時の1学年分の生徒しかいない。話はやはり、猪谷小学校の廃校・撤去(私たちの4年の時に合併新設された)~過疎の問題。
また、私たちの学年は群体で野球(県大会ベスト4)、ソフト、バスケット、サッカーで優勝、卓球で準優勝という同級生で結束力が強い。当然、当時のその手の話で盛り上がる。初当選から初めての同期会で乾杯の音頭をとることとなったが、悪友?の入れ知恵で「AKB48ならぬ、猿・酉フォーティシックスの結成(所謂、親父ギャグ)」となった。夜は隣接校区の黒瀬の納涼祭に参加し帰宅。
翌日の15日(日)~16日(月)は猪谷の実家に癒しに帰る。選挙区違いから票を入れられなかった方々(中には里帰りの方々が大勢いらっしゃって、入れていただいた方々もお出でである)だが、たくさんのご紹介者をいただいた方たちとの出会いと、盆踊りと原風景にと話(現在戸数は90件弱、私が田舎に帰郷した頃は150件と三井アパートと村営住宅を併せて50件余り、たぶん700人位は住んでいたと思う)がおよぶ。それで昨日、家に戻ってきた。

また明日から通常の活動開始となるが、どこへ行っても(楽今日館、林林、常虹の滝、天湖森など)県外ナンバーで溢れていた。
政治利権と分配の構造を変える「プログラム25」完結編
某テレビ番組で原口総務大臣が、力を込めて最後におっしゃっていた通り「私たちは河村さんたちと国会Gメンという会を作って活動していました。その中には亡くなられた石井紘基さんもおられましたが、『今までの利権と分配の構造』を変える。」ということに現段階では尽きるのではないか? 将来のことに関して、いろいろなことを皆さんが言われますが、この構造をないがしろにして、先に進んではいけないのである。何故ならば、日本は未だに普通な(まともな)国ではないからだ。生煮え状態で、普通の国かのようなアクションは消化不良を起こします。
菅総理は、例えば「急激な円高、株安」など、現在進行形な物事の対処に追われている。一方で各大臣の指揮の基、改革の進捗状況のアナウンスメントも必要である。現状を変えた法案もたくさんある。例えば、長らく待ち望んでいた幼稚園(文科省のもと教育機関であるという)の保育園化(幼保の一体化)がある。今後、公立の幼稚園が地方自治体の基に、どう扱われて行くのかを注視したい。
法学博士の石井さんのよく言われていた言葉に「近代の大きな法体系では『税金をつくる民間と税金を分配する行政事業』しかない、中間的な存在などないのである。」ということがある。百歩譲って、今後は鳩山さんが政権末期に発表された「『新しい公共』とは、『NPOなどの法的存在』に寄付したら、税金を大幅に控除(まけてあげる)しましょう」ということはあるのかもしれない。
以下、今日で最後!故・石井紘基さんの真の「構造改革のための25のプログラム」(2002年半ば記)を紹介して、政権交代後の初供養となればと思います。
第四節 品格ある「公務」の復活

プログラム二三 「公務分限法」を制定する
行政は権力であり、出過ぎてはならない。行政の使命は社会の公正と安全を保持すること、つまり、必要かつひかえ目に税金を使って福祉、医療、教育、治安、外交、防衛の事務にあたることである。
教育は健全に進んでいるか、福祉の行き届かないところはないか、治安に欠落や行き過ぎはないか、法は守られているかをチェックし、その事務を遂行することである。
また、行政担当者は自ら姿勢を正し、公に奉仕し、間違っても私利私欲を追求するなどあってはならないし、不必要なところに国民の金を使ってはならないのである。こうした趣旨を「公務分限法」として定めるべきだ。
憲法八六条は税金の使い途について厳しい態度をとっている。すなわち「内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない」「予見し難しい予算の不足に充てるため、国会の議決に基づいて予備員を設け、内閣の責任でこれを支出することができる」と規定している。
つまり、憲法は、国の会計は各会計年度ごとに完結するもので、かつ年度当初に金額が予定できなければならないことを定めているのである(単年度主義)。
これによって、儲かるか損をするかわからない事業、長期短期の投資活動などを排除しているのである。
裏を返せば、この国の経済活動の担い手は民間であり、経済、すなわち、市場の活動に行政が立ち入ることを予定していない。今日のわが国の財政運営は明らかに憲法違反の疑いがある。
行政が民間事業に補助金を出したり、行政事業と称してビジネスに手を出したりすれば、市場の資源が経済活動から行政事務のものとなり、たちまち経済を壊し、市場を狭め、負担を増やす結果を招く。
事実、行政がやっている年間数百兆円のビジネスの中で、どの事業・業種をとってみても採算の合っているものはない。子会社・孫会社は座っているだけでお金が入ってくるが、国から見れば際限のない借金の山が築かれているのだ。
憲法の定めるところに従って、政府は中央・地方にわたって原則として投資事業を止め、それらを経済の領域に戻さなければならない。
憲法をはじめとする基本的法律に照らして、行政の範囲と権限、責任を明確にすべきである。いかなる形をとろうとも税金が政治家、公務員に直接間接に流用されたり、儲かるか損をするかわからないビジネス(各種投資等)に用いられたりしてはならない。
しかも、一年単位で見て一円たりとも不明であってはならない、そういうものだということを、はっきりさせる必要がある。
また、政治家、公務員は国家国民のため、未来のために奉仕し、仕事をするという重い使命を持った誇りある存在であると同時に、重い責任を負うべき存在であることを明確に規定する必要がある(ちなみに、政治家と行政官がお手盛りでやっている叙勲制度などは、業界への褒章も含めて即刻廃止した方がよい)。天下りや二重退職金などはもってのほかである。
同様の主旨で「行政監査院」と「政治監察院」を設けるべきである。いま行政監査は総務省が行っているが、行政自身が行うのではなく、権威と権限をもった国民の機関が必要である。
また、政治家自身が多数決で選挙法を決めたり、報酬や政治資金を決めたりするのではなく、厳正な国民によって作られる政治監察院によるべきである。
そして、政治家や政党は企業や団体から金をもらうのではなく、国政に献身することと引き替えに政策調査と立法活動のための必要な費用を保障され、言論の自由を侵されること無くその使途を監察されるべきである。

プログラム二四 行政監察を徹底し、会計検査院を強化する
憲法第九〇条は「国の収入支出の決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査し、内閣は、次の年度に、その検査報告とともに、これを国会に提出しなければならない」と定めている。
しかし、会計検査院の検査はとうてい国の収入支出のすべてに及んでいないし、検査報告は国会に提出されても次の年度にもその次の年度にも、実際には審議されていない。この点でもわが国の政治は憲法に則していない。
そもそも、納税した税金が適切かつ有効に使われているかどうかを国民がチェックすることは世界共通の民主主義的権利である。
わが国の制度では、地方公共団体の場合、自治体に監査委員会があり住民が監査請求権をもっている。
国の場合は議会に決算行政監視委員会(参議院は決算委員会)が置かれ、”独立”(現実には”孤立”と言った方がよい)した会計検査院があるが、国民には監査請求権が与えられていない。それに替わって会計検査院の検査があるという建て前なのだ。
したがって、国の機関の決算や補助金の検査を行う会計検査院は、きわめて重要な機関のはずだ。国の収入支出の決算について検査し、内閣が国会に決算書を提出するさいに、検査報告を添えなければならないことになっている。
会計検査院の検査対象は、①「必ず検査しなければならないもの」(必要的検査対象)と、②「検査院が必要と認めたときに検査することができるもの」(選択的検査対象)に分かれる。
①の対象は、国の毎月の収入支出、国が資本金の二分の一以上を出資している法人(たとえば政府系関係機関や特殊法人)の会計、国が資本金を出資したものがさらに出資しているもの(たとえば農協系団体や特殊法人の子会社)の会計、などとなっている。
それら検査対象となる機関・団体等の数は、検査院によれば約三万八〇〇〇ヶ所とされている。後述するように実際はこれよりはるかに多いはずであるが、三万八〇〇〇ヶ所ですら、検査院の調査官七〇四人(職員数一二五一人)で検査し切れるものではない。
実際、実地検査が行われるのは約八.五パーセントの三二〇〇ヶ所である。それでも仕事量からすれば実態はかなり過重である。
検査院は検査の結果を、①不当事項(法令等に違反、または不経済・非効率な事態)、②意見表示・処置要求事項(改善要求)、③処置済事項(改善された事項の記述)、④特記事項(予算の効果、事業成績が適切でない事態の問題提起)、⑤国会からの検査要請に対する検査状況-の五分類で内閣に報告する。
平成一一年度では①が二五二件、②が六件、③が三七件、④が一件の計二九六件、金額にして二一四億円であった。
以上のような会計検査制度には多くの問題があり、根本的な改革が必要である。
第一の問題点は権威である。会計検査院はこれまで様々な無駄遣いや非効率を指摘してきた。中海干拓や藤前干潟の干拓事業から、高速道路事業や港湾建設事業、さらにはODAや国有林野事業の無駄使いなどだ。
しかし、検査院には強制権限がなく、いうなれば「指摘」するだけで終わってしまう。省庁などは「指摘」を受けた事業を中止したり責任をとったりする義務はない。また、検査院にとって、予算配分権を持ち族議員を抱えている各省庁に対して強く物を言いにくいのも事実である。検査官は「先方が資料を出してくれない」とよく嘆いているが、実際のところ、相手が省庁の場合、「調べさせていただきたいのでご協力を」という感じである。
第二の問題は検査対象の範囲である。本来、税金の使途については、わずかでも不明があってはならないので、チェックのシステムが隅々まで行き届いていなければならないはずである。
しかし、わが国の財政制度では国民のおカネが補助金の形で約六万ヶ所、事業費としては一〇〇万ヶ所以上にわたっている。これでは検査院の規模を一〇倍にしても、とうてい検査し切れない。
しかも、これ以外に、税金で作られた一万(社)を超える行政系列の株式会社などがある。公益法人、認可法人とその子会社・孫会社、特殊法人の子会社・孫会社、地方公社、「三セク」などだ。これらは私企業または民間法人の形をとっているため検査院の検査権限が及ばない。そもそも、こうした企業(団体)を作ること自体、公金を私企業の資産とする行為であり、憲法違反、公金横領なのである。
このようなことになった原因は、利権政治であり、天下り構造である。言い方を替えれば、利権政治が民主主義のシステムである会計検査をマヒさせてしまったのだ。
その結果、「会計検査院法」そのものが憲法の規定を逸脱してしまった。検査院の検査対象には「会計検査院法」が制定された後に付け加えられたものが多い。
そもそも憲法が想定していない税金による「出資先」や孫出資先の株式会社や公益法人、「補助金」交付先の業界団体や企業など、あってはならないものができてしまった。次々に生まれるそれらも検査対象として明記せざるを得なくなり、「会計検査院法」そのものが憲法上矛盾をきたしてきた。
つまり、税金で私企業をつくり、公金を私物化することを法律上認める結果をつくりだしてしまったのである。
第三は会計検査院の独立性の問題である。検査院は「内閣に対し独立の地位を有する」と会計検査院法には明記されているが、その独立性を保障する根拠はどこにもない。検査院の職員は公務員の一般職試験によるもので少なくとも他省庁と横並びであるし、予算や定員は財務省の厳しい査定と族議員が支配的な国会に縛られている。
さらに重要なのは、検査院は政府や省庁の政策や事業そのものに対する是非の判断が実際にはできないことである。
無駄な事業や利権性の強い誤った事業の中止や責任を問うことができないため、「無駄」の指定も計算間違い程度の小額のものとまり、全体でも検査院自体の運営予算額程度に限られてしまっている。
第四の問題は調査官の人数と待遇である。調査官の人数は少なくとも現状の五~六倍は必要不可欠であるし、全体の職員数も五〇〇〇人以上でなければ最小限の検査もできまい。
こうした問題点を克服し、会計検査院に本来あるべき機能を発揮してもらうにはどうしたらよいだろうか。私の改革試案は次の三点からなる。
一、会計検査院に予算、職員採用、待遇などの面で大幅な独立性を持たせるため、職員の身分を特別職公務員とし、行政定員から除外し、予算にも独自性を持たせる。
二、検査そのものに強い権限を付与し、政策や事業に対しても判断を示し、誤りや不正を追及する権限を与える。
三、(検査院制度ではないが)子会社や事業団体の設立を禁止し、それらの団体への補助金等を廃止し、予算の行き先を行政機関と行政機関の物品購入先のみに限るという、行財政のあるべき公明な姿に戻す。この結果、検査院の検査対象が明確となり、会計検査が制度上合理性を持つこととなる。

プログラム二五 天下り禁止法を急いで定める
国でも地方でも行政権限を笠に着た公務員の天下りが野放し状態である。天下り先の外郭団体の退職金も国民の不公平感、不信感を増大させている。
全国で数十万人にのぼる天下り役員に支払われる公金、莫大な金額である。しかも、すでに触れた通り、中には五回も六回も行政の系列を天下り、ひとりで三億円、四億円という報酬・退職金を手にしている者も少なくない。
私は平成一〇年、国家公務員の(国の機関と密接な関係にある団体への)天下りと高額退職金の重ね取りを禁ずるための法律案を作った。
この法律は、その後、民主党の案として国会に提出されているが、いまだに審議されないままとなっている。
法案の内容は、国家公務員は離職後五年間は、国の機関と密接な関係を持つ団体等の地位に就いてはならないこととし、同時に定年前の退職勧奨も禁じる。
また、外郭団体の給与は公務員と同等以下とする、というものだ。公務員の退職金は生涯一回のみにすべき、と思っている。
要するに”天下り”を公務離職後五年間禁止することで、実際上、(元)公務員としての影響力と六五歳以上(六〇歳定年)という年齢によって天下りをほとんど無意味にしようというものだ。給与や退職金も一般社会と大きな差はなくなる。
この法律ができれば、中央省庁にとって公益法人やファミリー企業を作る意味は半減し、税金の無駄遣いも減ることになる。地方自治体でも、条例等で天下り・退職金を規制すべきである。
改めて故・石井紘基代議士の真骨頂から強力な政治主導の必要性を問う

ここからが、石井の「裏表の国家予算に精通している所以に発言できた大胆な提言」であり、より強力な政府(政治任用が担保された)が必要となってくるところである。財投の根幹である郵貯・簡保(政府系金融)は完全民営化、ユニバーサルサービスである郵便事業は、民業(参入の自由を保障して)を圧迫しないために寧ろ国営(あのアメリカでさえ、そうなのだ)のまま残すべきだと考えます。
第三節 国家予算の半減

プログラム一八 五年で予算規模を二分の一に縮小する
第一章で詳しく見たように、わが国には公的な借金が一〇六六兆円ある。借金は国の分だけでも毎年四〇兆円以上増え続けている。国の借金に対する国民負担は利息だけでも軽く一日四〇〇億円を越えている。わが国は毎年毎年、元利返済金額より新たな借金額の方が大きいという”サラ金地獄”に陥っているのだ。
この事態への対応策として政府がとってきたのは、さらなる行政主導の投資政策だが、こうした官制経済の拡大は悪夢が悪夢を呼ぶ結果をもたらすに過ぎない。
小泉首相は平成一四年度予算で新規国債の発行を三〇兆円以内にすると公約しているが、この程度の方針では悪夢から脱出する展望は生まれない。
わが国の国家予算の規模は一般に信じられている八五兆円(平成一二年度)ではなく、実際には財政運営の主体となっている特別会計を軸とした二六〇兆円である。税収(四七兆円)に照らして、国の予算がこのように異常な規模になった大きな要因は、郵貯(総額二五五兆円)、年金積立金(総額一四〇兆円)、簡保(総額一一〇兆円)などから特別会計で借金をし、事業予算に充てる仕組みだ。
もちろん、これ以外に国債の乱発もある。平成十三年度予算でみて、二五〇兆円の歳出(純計)のうち補助金は、一般会計で二二.一兆円、特別会計で三一.九兆円の合計五四兆円が計上されている。このうち、地方交付税交付金(一部公共事業関係費も含む)と特殊法人等へ支払われるもの、および福祉・教育関係を除いたもの、すなわち公共事業関係と企業、業界等の経済関係のものは、合わせて三〇兆円を超えている。また、公共事業費は(相当部分は補助金と重複するが)約三〇兆円あり、これに公共事業人件費、公共事業借金(建設国債等)負担などを含めると公共事業費と補助金総体の予算額はさらに数十兆円増える。
こうした実体からすれば、公共事業費と行政企業を含めた補助金の総額のうち、五年間かかって、年間予算を三〇兆円削減することは決して困難ではない。
さらに、向こう五年間で二六〇兆円の歳出すべてを抜本的に見直し、中央政府の予算規模をせめてドイツ、フランスの五倍、アメリカ(連邦政府)とほぼ同じ一九〇兆円程度に縮小することが必要である。つまり、会計全体の整理・簡素化と合わせて、歳入・歳出を一〇〇兆円縮小する。これをどう達成するか。
さて、おおかたの読者は、国家予算を一〇〇兆円も減らすなど、空想的で非現実的な話だと思われるかもしれない。しかし、そんなことはないのだ。歳出を大幅に圧縮する鍵は、一般会計(八五兆円)から五一.六兆円を受け入れ、総額三三六.七兆円(歳入)にも膨れ上がっている特別会計にある。差し当たり大幅に整理・縮小できる予算事項と歳出は、次のようなものである。
▽まず地方交付税特別会計である。地方交付税交付金は、一般会計から交付税特会を通して地方公共団体に支払われる。一般会計から交付税特会に入るのは約一七兆円なのに、地方へは約二〇兆円が渡されている。約四兆円もの差が生まれているのは、竹下登首相時代に創設された地方単独の公共事業への交付補助(最大五五%)や、公共事業の地方起債分への裏補助など、一般会計から出せないものがあるので、特会を用いて、このような姿になったのであろう。
その約四兆円は、交付税特会が資金運用部(現・財政融資資金)から借り入れている。借りても返せないから、利息も含めて毎年、上積みで借り替えを行う。返済財源のない借金である。その結果、平成十三年度の借り換え額は四二.五兆円に達した。四二.五兆円を借り入れて三八.八兆円を返済する。その返済は、国債整理基金特会を通して資金運用部へ渡る。複雑怪奇、奇妙奇天烈だ。
この四二.五兆円は、第一章に示した国の借金(「借入金」)に計上されている。このような不明朗な特別会計は廃止し、地方交付金は一般会計が直接処理すべきである。地方単独事業への補助交付や地方起債への裏補助も見直すことで歳出の削減ができる。すなわち、国の予算上の歳出(特別会計)四二.五兆円と歳入三八.八兆円(実債約四兆円)は整理・削減することができる。
▽特別会計の中の「財政融資資金への繰り入れ」(約四四兆円)は、特殊法人を廃止することによって、ほぼ不要となる。平成十三年度予算で見ると、財政融資資金特別会計が財投債の形で調達する約四三兆円がそのまま財政融資資金に繰り入れられる。したがって、財投制度の抜本的見直しと特殊法人等の廃止によって、四三兆円は次第に縮小し、ゼロに近づけることができる。これは、まさに、郵貯や年金という国民の資産から借金して国の予算に充てる不正常な歳入・歳出であるから廃止することが重要である。
▽郵便貯金(一一.五兆円)、郵便事業(七.五兆円)の両特別会計は、平成十五年の郵政公社化とともに廃止されるのが当然であろう。
▽特別会計のうち、道路整備(四.五兆円)、港湾整備(四五八八億円)、空港整備(四八〇〇億円)、治水(一.五兆円)、土地改良(五五〇〇億円)など公共事業関係の支出も一般会計に移行し、原則として税収の範囲内で管理することになれば、相等規模の歳出削減が可能となる。
▽平成一三年度予算における特殊法人・認可法人への政府予算支出は、一般会計から四兆円、特別会計から三.五兆円、計七兆五〇〇〇億円である。これは早晩セロにしなければならない。
以上、大どころだけをざっとあげてみたが、さらに特別会計全般や施設費や省庁予算の中には山ほど無駄な事項・分類が含まれている。
プログラム一九 国債の新規発行をゼロにする
さて、前項では基本的に会計の整理を中心に歳入・歳出の縮小について述べたが、今度は、それとは別の角度から財政の改善と構造改革の課題に触れてみよう。
すでに述べたように、補助金及び公共事業費の削減によって早期に三〇兆円の歳出削減を実現できる。また、最優先課題として断行されるべき政府系公益法人や特殊法人、地方公社など、官企業の廃止は市場の活性化という重要な効果を生む。
これらが独占している膨大な事業が順次市場化し、経済全体に相乗的活力を発揮するからである。これによって三年後以降には顕著な税収の伸びが期待できる。
従来、官企業であるがゆえに免除されていた税金分と合わせて、五年以内に、年間三〇兆円程度の税収増が実現できよう。三〇兆円の削減と三〇兆円の税収増で計六〇兆円の調整幅ができることになる。このうちの三〇兆円によって新規国債発行ゼロを実現できるのである。
さらに、この後の健全な市場経済の発展と「簡素な政府」実現の中で大幅な歳出縮減と税収の増大を実現することができれば、必然的に国の借金は減少の軌道に乗る。同時に行政企業と利権の多くが姿を消すことによって国民の公共料金と税金負担が大幅に軽減される。
この間に地方分権を進め、税配分や徴税権の大幅な地方への移転が行われるべきだから、そうなれば当然、国レベルの予算規模は実際には前記の数字より大幅に縮小されることになる。
一〇年後のさらなる目標としての国家予算の規模は一〇〇兆円を限度とすべきであろう。つまり、国税による歳入一〇〇兆円以内ということである。ここで、はじめて真の意味でのプライマリーバランスが回復することになる(この点で年金の扱いが問題である。私は年金は基本的に税によるべきと考えるが、ここではそれを含めない)。
さて、当面する平成一四年度予算の編成においては、以上の立場から少なくとも二〇兆円の公共事業・補助金の削減を実行し、一〇兆円を構造改革のコストに投ずるべきである。そして、新規国債の発行額は、(小泉内閣が目指す三〇兆円ではなく)二〇兆円以内に抑えなければならない。そのさいには、いわゆる「成長率」が三~五%程度下がることも宣明し(マイナス成長)、これは景気の指標とは異なるものであることも合わせて明らかにすべきであろう。
わが国の財政構造の現状からすると、(すでに述べたように)財政支出が減少すればGDPも下がり、したがって、成長率も下がるからである。このさい日本国の癌の病は加速度的に進行しているのであるから、煮え切らない改革はかえって事態を悪化させることを付言しておく。

プログラム二〇 「中高年一〇〇万人のボランタリー公務員制度」をつくる
このように公共事業費の削減や補助金の大幅カットを実施すれば、経済に対し一時的に大きな負の作用を及ぼすことは避けられない。多数の職員等が一時的に失職するからだ。先にも述べた通り、総体で二〇〇万人と想定される失職が、金融では政府系金融機関、不動産・土木建設では中央・地方の特殊法人などと相当数の系列子会社で発生する。この一大失職状況への適切な対応こそ、構造改革戦略の要諦となる。
政治の舵取りとして重要なことは、これまでは行政企業が掌握してきたビジネス領域で民間企業が自由に腕を振るえるよう、税制、金融、法制度面等で十分な環境整備を行うことである。同時に、徹底した労働時間の短縮、長期休暇制の導入、賃金体系の見直しも必要だ。さらにたとえば地方の土建会社のような、公共事業需要によって生きてきた民間企業などに対しては、自然環境保全事業や福祉環境・教育環境整備事業などにシフトできるよう、政府の誘導と支援が必要である。
そのさい、将来の高齢化・健康文化社会に向けて、あるいは経済活性化のためにも、都市と農村の大交流策を打ち出すべきだ。たとえば、農村地方に都市住民が一定面積の土地、菜園、建物を取得することや、あるいは大学などの文教施設や医療・福祉施設の移転・建設に対して、大幅な優遇措置を講じるのだ。これによって地域の自立的経済活動を盛り上げることができる。
こうした一連の積極的な新しい社会を築くためには、多様な技能や知識、意欲を持って、これを手助けする相当な人材が必要となる。これには公に奉仕する社会経験豊かな五〇歳以上の中高年こそ出番である。半ば、ボランティア精神で次世代社会づくりの役割を果たしてもらうべきであろう。このために「中高年一〇〇万人のボランタリー公務員制度」を導入し、福祉や社会教育、職業・技術指導、伝統文化や環境保護事業、生活支援など幅広い分野・地域に中高年を動員すべきである。

プログラム二一 二〇兆円を社会保障、一〇兆円を環境保全に追加する
今後、これらの失業対策、雇用の移動、地方における新たな事業の喚起、そして農業および土木建設業対策を進めるに当たっては、相当の予算が必要である。予算をつけるにあたっては、次の原則を守る必要がある。
すなわち、①補助金ではなく、税その他の条件整備策に依ること。しかし、従来のように投資事業は行わないこと。②そのための団体・法人を置かないこと。③議会が決め、行政の直接の責任の下に財務管理を行うこと。④不特定多数の国民の利益に直結する方法ですすめること、などである。下水道や河川、一般道路整備などは、こうした改革を行うことによって予算が正しく効率的に使われ急速に進捗するはずだ。
向こう三年間を改革調整期間として、この間、新規に必要な予算額としては、年三〇兆円と考えられる。従来型の公共事業や補助金からのシフトでこれを施行するべきである。
三〇兆円の中身は、失職対策や雇用移動を含む広い意味での社会保障費が二〇兆円、地方の民間による自然保護や福祉・教育・生活格環境整備や自然食生産などの自立した事業展開を奨励する自治体のための予算が一〇兆円である。
これらの措置は、調整期間終了後も、国民の将来への安心と地方の自立のために継続されるべきである。これによって転換期の混乱を最小限に止め、同時に構造改革によって生まれる新たな市場経済の躍起と国家財政の危機脱却をはかることができる。

プログラム二二 大規模減税を実現する
真の構造改革を掲げる政権は、三年後の大規模減税を国民に公約すべきである。
日本の企業は全般に、重い公共料金と行政手続き負担のため生産コストが高水準となり、同時に従業員の生活コストが著しく高いため、人件費の高騰を招いている。こうした経営を束縛する社会的重負担構造は公共事業長期計画の廃止や行政企業の廃止によって格段に改善されるが、さらに、企業の成長力を改善し、国民の消費能力を高めるには法人税、所得税等の減税が必要である。
また税制抜本改革のなかで固定資産税、相続税の大幅減税を断行し、可処分所得のさらなる増大をはかることも不可欠であろう。食料品や医療、福祉サービス等にかかる消費税の撤廃も重要である。
年金改革については当面、年金資金運用基金を廃止し、国が直接管理する積み立て方式に改めるとともに、一定の所得水準以上の加入者に対する給付の引き下げと国庫負担割合の増大を実施すべきである。将来的には「税による年金」「税による医療」「社会による介護」の目標を掲げ、先に述べた「中高年一〇〇万人のボランタリー公務員制度」をつくって高度福祉社会の実現をめざすべきだ。
健全な市場経済にあたっては、こうした経済活動の活性化と将来不安の解消のための一連の改革と税収の増大とは相互に一体のものとなる。それが国民福祉の向上につながるのである。



