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私(感・観・事)・理念

二度目の落選…

支援者の皆さまへ
このたびは本当に多くの皆さんのご協力・ご尽力をいただいたにも関わらず、お応えできない結果となり、言葉も見つからないぐらい、心からのお詫びを申し上げます。今回も私の力が及ばず、皆さまの民意を託していただくには至りませんでした。
とても厳しい状況にありながら、普段の日常をおしてでも事務所に詰めて頂き、ともに助け合いながら選挙戦をたたかっていただいた、若竹町連合町内会をはじめ熊野校下、または細入・大沢野地域及び、地域を選ばない同志の方々、人目を憚ることなく快く司会や応援弁士を受けていただいた諸先輩、皆さんの意思に報い得ることができず、本当に不甲斐なく思っています。
「皆さんが額に汗してつくった税金や年金・国民皆保険、公共料金が生活現場・仕事現場や教育現場、地域社会で目に見えるように実感できるような富山市へ」、政治の道を志してから私はいつも呪文のように、この言葉を自らのキャッチフレーズとしてきました。
今後とも富山市民のため、この試練を糧に「その地域らしさを取り戻す」運動に精進して参ります。これからも変わらぬ、ご指導・ご鞭撻の程よろしくお願いいたします。

先ずは遠回りかも知れませんが、「里山資本主義」完遂と旧飛騨街道(西街道、東街道~大久保道・布市道・笹津道≒現ノーベル街道)観光化のためのNPO法人と、バリアフリー楽団と就労支援充実のためのNPO法人の立ち上げに邁進いたします。

後援会総決起集会 3/25 @2017

今日は土曜日の一家団欒の時間にもかかわらず、たくさんの方にお集まりいただき、ありがとうございました。
富山に戻って来て13年の月日がたちました。国会議員の秘書時代から支えていただいてきた皆さん。私の出身地である細入・大沢野地域の皆さん。そして、政治家として育てていただいた、熊野校下はもとより地元の若竹町の皆さん!今日この日から私は恩返しの日々へと変わって参ります。

10年前にこの地に立って

① 歩いて出かけるスーパーマーケットがなかった

② 地域公共交通と、お出かけ定期券が市民病院と星井町以北でないと100円で行けない
③ 田園の法面や側溝の除草対策(農家の後継者不足でマンパワーが足りない)

④ 熊野幼稚園の廃止問題
そして、水や資材・エネルギーを古くから、この豊かな大地を支えてきた、方々の里山の過疎化においては、深刻度がピークに達しています。
8年前に議員になって
① 通学路の確保
ⅰ歩道の除雪
ⅱ橋の欄干のメンテナンス
ⅲ興南中学への通学路の確保(土川の橋上の融雪装置):PTAと融雪組合の協力もあって

② 子育て支援で保育所の増設等を市政報告会の開催を重ね☞議会度で訴えて、幼保の一体化(認定こども園の許可がおり増設)
③ 私道を市に移管等で、除雪を行政で
④ 用水の中島化(1丁目)を解消
⑤ ゲリラ豪雨&洪水対策(用水は市の管理だが、使っているのは農家においての取水、住宅地においての雨水用水として)☞休耕地や耕作放棄地、転作の奨励で用水の水門管理が従来通りにならなくなった☞市に用水マップの作成と管理の依頼☞5丁目の側溝回収に側面から支援させていただきました

今後の課題
① 4月から要介護支援1&2の厚労省から市への助成がなくなる☞新たなる支援策を市町村の自治体が独自に策定中☞4月から新しいスキームができる。
「若竹みんなの家(高齢者サロン)」(市内では岩瀬)が先駆けのような施設がある。運用段階で地域に使い勝手の良いものにしたい☞それを各地に全面展開したい
② 今世紀に入ってから日本の地に訪れる観光客は僅か500万人ほどしかいませんでしたが、人口減少時代の日本にあって、2010年に観光立国「日本」を宣言し、昨年は、速報値で2500万弱の皆さんが日本でお金を落とされた。

ここ熊野校下は、旧飛騨街道の布市・笹津道と大久保街道に囲まれ、加賀藩の東猪谷関所、富山藩の猪谷関所に通じています。関所を境に飛騨は、資材・エネルギー面から江戸幕府の直轄地でした。街道沿いには様々な人たちが行き交い、多くの野仏や地蔵がそこここに見ることが出来ます。当然のことながらソコには多くの物語があり、そこから見えてくる風景には観光資源としての宝に溢れています。
③ 何卒、私を市政壇上へと上げていただくためにも、これからも皆さんと相談させていただきながら、「子育て支援」や「高齢者対策支援」等、若いお母さんたちの働く時間と場を確保等して地域経済の更に活性化、皆さんと相談しながら「地域コミュニティ」の発展に尽くして行ければと考えております。

一連の政務活動費の私物化に対して

かつて、議員時代に在籍していたところの県連代表も不正…ただでさえ私は疑われそうな立ち位置に以前は居た訳で、私のこれ以上のイメージ・ダウンは心外で、火中の栗拾いに!仕立て上げられないためにも…千載一遇のチャンスでしたが、苦渋の選択!一旦、補選は退きます(状況次第で一転するかもしれませんが)。
会派決算で構造的な問題である以上、尻尾を出さない人達への追及が今後の問題解決のキーワードです。今後の議員資質を有権者が問うのであれば、政活費の立て替え後払いと個人決算にして公開して行けば、「今より何にどう使われているのか?」がハッキリし、「どの議員が誰のために何をしたいのか?」が今よりは明確になる。さらに納税有権者の選挙の際の選択肢の材料にもなる。
今のままでは、何が何だか分からないまま、単なる一般市民のガス抜きで終わってしまい、事件の有意性は失われ兼ねない。このまま何人かを吊し上げるだけで終わってしまえば、何年後かにまた違った形で構造的な問題は現出する。これだけの騒動を起こしたのだから、何が何でも!少なくとも民主主義の今一歩の進展に繋げなければならない‼
かつての会派に記録が保管されていた5年分の内、私が在籍していた11年~13年4月23日分の政務調査費は、視察、勉強会・セミナー・フォーラム、ネット関連・ 電話・郵便DM代&市政報告リーフレット印刷代等の案分計算分(私の市政報告会は後援会主催で会費制なので、政務活動費として計上されていない。一連の報道を聞いたとき、彼らの市政報告会が政務活動費として使われている実態にはビックリした!)の調査をいただいた結果、正当に使われていることが判明しました。問題なし!とのことで、一つ心の重荷が降りました(良かった‼)。ただ事務に任せっきりにしていて、会派と個人との支出関係を把握しておらず、自身の活動の潔白性を主権者に対して即答できない状態が続いたのは、当時の私自身の欺瞞であったことは否めない。

官僚縦割り支配が続くのは、ポリアポ・統治改革を議論しない政党政治にあり

 官僚セクショナリズム(縦割り)支配が未だに続くのは、政治任用(ポリアポ)・統治改革を語らない(議論しない)政党政治にある。参院選はパスして、次の衆院選に向け熟議を始めよう。
 -「日本再生」新聞410号の記事「日本の意思決定システムと民主党政権の失敗」:村井哲也氏からの抜粋-
 …官僚機構が強みを発揮するのは、現状維持するときだけです。現状を変更しようとすると、しかも弱いパトロンが変更しようとすると強力に抵抗します。パトロン(である自民党)が弱体化したということは、官僚機構も弱体化したということです。
 …高度成長期の公共事業はインフラ整備によって経済成長につながったのも事実ですが、80年代くらいからは、それがだんだんなくなってくる。気がつけば、予算の膨張とⅰセクショナリズム*を解決するのが不可能になっている。
 こうしたなかで90年代後半に生まれた民主党は、市場原理によって、田中派支配の腐敗政治から透明で公平な意思決定ルールが持たされる、と言っていました。
 ところが2001年4月に、小泉純一郎政権が構造改革を掲げ登場します。これは究極のⅱ包括政党化*戦略です。どう考えても本来は小泉構造改革に賛成とは思えない党員たちも含め、「小泉を首相にしよう」と言い出す。そうなると、民主党はアイデンティティ・クライシスに陥るわけです。…代わりに入るのが「生活者優先」。看板政策を奪われてしまうと、民主党も極端な方向に行かされちゃうわけです。
 …実は官邸主導が成功したといっても、異常なまでの国民的な人気がないと、あそこまでできなかったと思いますが、なんと言ってもやはり裏での舞台回しが上手かった。
 …経済財政諮問会議を始めとする官邸主導は、橋本行革の成果と言われるわけですが、やはりそれは抜群の舞台回しがあってこそです。例えば、官僚が抵抗すると議事録をホームページに公開して、事業仕分けでもこれと同じことをやった。それは成功するのですが、経済財政諮問会議のときの情報公開は、官僚機構にとって初めての経験であって衝撃を受け、対応が後手に回った。ところが事業仕分けのときは、各省庁とにかく全部情報公開をする。大量に情報公開すると、メディアも学者もチェックしきれない。そういうことがわからないまま、表向きの制度幻想だけが植えつけられたと言えます。
  …生産年齢人口のピークは1995年です。改革の時代を引っ張ったのは、団塊を中心とした世代ですが、2000年代に入ると、これらの人たちが年金受給年齢に達してきます。公共事業の既得権益を批判してきた人たちが、社会保障の既得権益者になっていく、という皮肉な現象が起きてくる。その現象が、菅直人だったりするわけですが。
 …もうひとつ、民主党政権は「予算の総組み替え」と言ったわけですが、「コンクリートから人へ」というのは、実は小泉政権でガンガンやってしまった。1990年代までは一般会計で、公共事業費と社会保障関係費はだいたい拮抗していた。ところがそこから公共事業費は右肩下がりで数兆円、一方で社会保障費は右肩上がりで20数兆円です。
 …「鳩山由紀夫はだらしない」と言われていますが、当時のことをお聞きすると、鳩山政権ってけっこう強力だったようです。なぜなら戦後の意思決定システムの中では、総選挙で勝利した政党の党首というのは、圧倒的に強いからです。参議院も下手に手出しできない。官僚もみんな言うことを聞いた、と言うんです。
 …自民党でも、小泉郵政総選挙で当選した議員は、安倍も福田も麻生の言うことも聞かなかった。なぜなら「小泉が首相の時に公認されて与党議員になった」という意識になるからです。やっぱり、参議院選挙で負けたといって首相が変わっちゃダメだと思います。
  …まず、政治主導とは何だろうかということです。と言いますのは、歴史の後付けでいい恰好をする人が多い。自己反省も含めて。
 さんざん政治主導を煽っておいて、民主党が失敗した途端に「いかに官僚を使いこなせるかだ」とかいう論調に変わる。
 …官僚はそもそも単独では政治権力を主導できない。強力な政治権力がなきゃいけない。さらに単独ではセクショナリズムを解決できず、組織と予算の膨張を単独では解決できず、単独では現状を打破できない。それをできるのは政治権力だけだということです。政治権力の何が本来の強みかと言えば、各省庁のセクショナリズムと違って、一致団結した政策と理念でこれらを統合できるからです。
 …薩長幕藩というのは、そもそも政策集団じゃない。江戸幕府を権力から追い落とすための権力集団ですから、明治維新が成功して、明治国家が軌道に乗ったら、本当は使命が終わっている。桂が政権を握って苦労したのは、藩閥は政策集団ではないので政策がバラバラになってしまうことでした。
 …確たる綱領がなかった民主党の弱点はそこで、それをマニフェストで代替させようとしたところに、無理がありました。マニフェストは綱領の補完的なツールに過ぎないのに、細かい数字を入れてしまった。そしてマグナカルタからは、ⅲ財政膨張的なマニフェスト*になったと。さらに話を聞いていくと、民主党のマニフェストは「短冊」の寄せ集めでした。つまり、政策や理念を統合していない代物だった。いろんな人の言い分けを盛り込んでいって、実は理念を共有していないというのが、あのマニフェストだと。
 自民党政権にしても、政官の役割分担があまり必要じゃなかったときに黄金時代を過ごしてきました。
  …国家の意思決定システムは、時代に合わせて変貌する生き物であり、今の時代にあった対応をしなければいけないにもかかわらず、自民党も民主党もそうなっていません。
 …そしてやはり、自民党との差異化に非常に苦労したと、差異化しないと国民に訴えられません。「なぜ経済諮問会議を使わなかったんですか。国家戦略局なんて権限がないから、官僚が言うこと聞くわけない。経済諮問会議なら権限いっぱいあるではないですか」というと、「自民党の象徴として攻撃してきたから、使うわけにはいかなくて」と。
 …学者もメディアも、本音の部分では政権交代の先を考えてなかった。やっぱり坂本竜馬的な、その後のことまでは考えないロマン主義だった。そうではなくて、システムを機能させるためずっと汗をかき続ける覚悟が必要だった。黄金時代の自民党議員はそれをやってきただろう、と。
 戦後国家が金属疲労を起こしていることは、間違いありません。過剰包括化した自民党が戦略を続けられるかと言ったら、もうそんな配分の果実はありませんし、未だに官僚機構は役割分担を見いだせずに、強力な頼れるパトロンを探し求めて漂流している。
 …財政赤字と少子高齢化の中で、包括政党化はもはや限界です。選択と集中をしなくてすんだ時代というのは、世界史的に見ても二度と来ません。中国だっていずれ終わります。その時に中国共産党は大変だと思いますが。
  …情報が公開されないと、われわれ歴史屋は分析できません。過去の資料を分析して、現状がデータ的にどうなっているか。あるいは過去、意思決定システムを機能させるためにどうしたかということを、語り継がなきゃいけないわけです。でも日本は情報公開しない国なので、国家戦略が描けない。国家戦略は歴史を描くところから始まります。だからアメリカは情報公開を徹底するわけです。
 …過去の意思決定システムをどうやって回して来たのかが語り継がれないし、ケーススタディもない。そうすると「イギリスはこうだ」とか言う人が出てくるわけです。しかしイギリスの政治学者に言わせると「イギリスの意思決定システムや制度は、イギリスの伝統と歴史の中にあるもので、簡単に真似できるものではない」と言うわけです。他国との比較は重要ですが、これに日本固有の歴史を重ね合わせないと意味が薄くなると思います。
 …意思決定システムはどういうふうに回ってきたかという、過去のケーススタディを見ることによって、現在のグランドデザインをどう描いていくかの材料を見出すこと。そしてご都合主義的に過去の歴史をあてはめることではなくて、そのケーススタディからどのような示俊を今後に役立てるか、ということが必要なのだろうと思います。

*は、以下に分かり易く、僕なりの比喩です。
ⅰセクション(省庁・部課)縄張り主義
ⅱ総合デパート・百貨店
ⅲ郊外型ショッピングモール

電力改革の「骨抜き」懸念

 一昨日の26日に参議院議員で安倍首相の問責決議案の可決のやりとりの最中、「電気事業法改正案」が廃案となった。皮肉なことに新聞記事が数行にわたってなので、そのまま書きます。
 『電気事業法改正案が廃案となった。政府は今秋の臨時国会に改正案を再提出する方針で、実施予定に大きな影響は出ないとしている。ただ電力業界や与野党内では改革への慎重論がくすぶっており「今回のつまずきで改革が骨抜きになる時間的な余地が生まれた」(経済産業省関係者)との懸念もある。』
 ショートコメントを語らせていただくならば、「参議院選挙前に大手電力会社と業界・労働組合が手を組んでロビー活動を展開した賜物」です。「骨抜き」とは、一部既得権者が生き残る仕組みを仕掛けるということです。「ザル法にして既得権を残す」ということです。通信カラオケに関わる周辺諸法律の抜け道と少し似ている。
 これらは、私を絶望の淵に追いやった、かなりの問題ではあります。
 がしかし、それは今後の経緯を注視するとして、ずーと取り上げようと思って、そのままになっていた記事の「見出しと抜粋、リンク」を貼らさせていただいて、今日は終わりにしようと思います。
 *蛇足ではありますが、この前、久しぶりにアクセス数がどうなっているか調べてみたら、落選翌日に519件もあった。これは、最初で最後の数字に違いないという数字です。いつもなら、多くて100件を少し超えるぐらいなのです。ずーと「有権者から負託を受けた身である」という立場から、私の行動・報告をまめにしてきましたが、一生懸命書いてもそんなもの、それが結果報告を数行書いただけで、その5倍である。世の中、そんなものなのか~とも思った瞬間でした。

  ①2013年5月20日(政経週報)「くらし2013」-専業主婦の年金不整合問題
 「第3号と思い込み」「過払いの返還求めず」「報われない女性も」、不整合第3号は165万人
 ②2012年7月17日(読売新聞)「論点」-宮口侗廸(としみち)氏 ←不名誉かも知れませんが、私の母の従弟
 「過疎地、離島の振興」「人間論的価値の観点で」
 ③2012年8月19日(富山新聞)「ひがしにし」-富山でバラカンさんトーク
 「ビートルズにぶっ飛んだ」「60年代の英国音楽語る」
 ④2012年7月30日(読売新聞)「映画」-細田守監督
 「おおかみこどもの雨と雪」「成長の過程、自然な表現で」
 ⑤2012年8月18日(読売新聞)「昭和時代・第2部・戦後転換期(1965年~79年)・第18回」-三島由紀夫
 「元禄の世、衝撃の自決」・・・「ノーベル文学賞を逃す」・・・「川端康成・人物抄-末期の眼と新人発掘の眼」
 「自衛官を前に演説」・・・三島は「諸君は武士だろう、武士ならばだ、自分を否定する憲法をどうして守るんだ」「諸君の中に、一人でも俺と一緒に立つ奴はいないのか」と呼びかけた。だが、応じる者はなかった。30分の予定だった演説を「天皇陛下万歳」を叫んで10分で切り上げ、再び総監室に戻った三島は、古式にのっとって自決を果たした。森田がこれに続いた。・・・
 「長編『豊饒の海』」・・・三島は1967年元旦、読売新聞に「年頭の迷い」という随筆を寄せている。『豊饒の海』完成にあと5年もかけては<もはや花々しい英雄的末路は永久に断念しなければならぬ>という内容だった。「英雄的」な年齢で生を完結させることに、三島は固執した。老いた自分を想像するだに絶え難いと言い、「斬り死にしてやる」と口にするようになった。
 だが、大げさに話して相手をきょとんとさせておいて、呵々大笑するのが三島の癖。「深刻に受け止めたことはなかった」と小島は語る。加えて小島の中には、三島を信じる支えになっていた言葉があった。『豊饒の海』第2巻「奔馬」最終回の原稿を、三島邸のバルコニーで渡された際、三島はこう言った。「どんなことが起ころうとも、僕は家族と共にある生活を選ぶ」・・・
  「昭和の昭和による復讐」「『縦の会』結成」・・・68年の「中央公論」7月号では、「文化防衛論」を発表。<文化を守るには、他のあらゆるものを守ると同様に力が要り、その力は文化の創造者保持者自身にこそ属さねばならぬ>と主張し、同年10月に結成した「縦の会」では、自衛隊体験入隊1か月以上を入会資格とした。・・・
 「東大全共闘との討論」・・・同年5月、駒場で開かれた東大全共闘主催の討論会に乗り込んだ三島は、安田講堂事件について「天皇という言葉を一言彼等が言えば、私は喜んで一緒にとじこもったであろう」と言い、「諸君の熱情は信じます」と共感を示した。
 会を企画した一人で評論家・小阪修平は、この「共感」とは<暴力の肯定、直接行動主義などさまざまだったが、もっとも大きなものは、戦後民主主義的知識人の偽善の否定と、自身にたいする誠実さが相手に見えたということだったろう。戦後社会の作り出した欺瞞と手を切るという一点で、奇妙な一致が成立していた>と書いた。・・・
・・・ 三島は「檄」に書いている。<われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失なひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た>
 文学、美学、国家、天皇。死の意味を巡り、さまざまな論が立てられたが、答えは出ない。
 評論家の松本健一は、知識人と大衆、右翼と左翼、都市と農村、近代と土俗などの二項対立が昭和40年代に次々と崩壊し、45年の三島事件で「右」が、47年の連合赤軍あさま山荘事件で「左」がそれぞれ喚起力を失って、高度大衆社会に移行していく―と指摘している。
 「証言」-純粋無垢な少年のまま- 18年交流があった歌手・俳優の美輪明宏さん

アップしそこねた記事を一挙に書き込み


最初に衆院選前の2012年10月15日、ノンフィクション作家の塩田氏の講演から~
・・・私は代表の橋元徹大阪市長を3点で評価している。一つ目は、実行しようとする政策を掲げて、選挙で支持を得た上で政治をやっている点。これは民主主義の正しい方向だ。二つ目は自分で決定して実行するパワーが大きい点。三つ目は統治システムの見直しをやっている点。制度疲労を起こしている現行の統治システムに強い関心を持つことは賛成だ。・・・
・・・形とは政策を実行するときのシステムであり、統治機構の問題だ。現在の憲法は、政治リーダーや権力者が権力を抑制的に使うように拒否権の仕組みが大きく埋め込まれていて、リーダーシップが発揮しにくい憲法になっている。最終的にはこの見直しが必要ではないか。・・・

2012年11月19日発行の政経週報「It’s 小タイム」日本維新の会・松野副代表の寄稿より~
わが国は今、明治維新、終戦に次ぐ、時代の大きな転換点に立っています。3年前の政権交代、あのとき国民が民主党に期待したのは、140年も続いた中央集権と官僚統制の仕組みを抜本的に変え、肥大化した天下り法人、そこに流れ込む税金の無駄遣いに斬り込むことだったはずです。
当時国民は、それまで政権を担っていた自民党に対して、戦後復興と高度成長に導いた功績と、平時の政権担当能力についてはそれほど疑いを持っていなかったと思います。しかし、中央集権体制の下、長年、官僚組織と寄り添ってきた自民党には、統治機構改革や徹底した行財政改革はできない、だからこそ政権担当能力に不安は残るが、少なくともしがらみのない民主党に一回はやらせてみようと国民は託したのです。
その結果は、ご承知の通りです。なぜ民主党政権は失敗したのか。既得権益を擁護する勢力や官僚機構を説得し、押さえ込む迫力に決定的に欠けていたためです。既成政党が有していないリーダーシップがどうしても必要な理由であります。
日本はまさに瀬戸際まで来ています。この日本を覆う閉塞感を克服し、国民の希望を取り戻すためには、日本再生のためのグレートリセット(解体的出直し)が必要です。野田首相は先の所信表明で「極論の先に真の解決はありません。中庸を旨として対立を乗り越えていく」と述べました。しかし、今大切なのは、過去の常識と決別することです。歴史を振り返れば、局面局面における大胆な一手が、時代を切り開いてきたのです。

2013年2月18日発行の政経週報「It’s 小タイム」みんなの党・渡辺代表
・・・財務省次官級OBの天下りによる人事には反対している。財務省は統制型システムの利権を守りたいがために日銀総裁にOBを天下りさせてきたからである。
まず「日銀ネット」に入っている全ての金融機関に資金供給や考査を通じて、にらみが効く。地銀などは財務官僚の有力天下りポストである。次に、日銀が大胆な金融政策を実施するようになると、為替は財務省による為替介入ではなく、金融政策で決まるということがはっきりする。財務省の為替介入や、その結果積み上がった外国為替資金特別会計は不要になる。こうした既得権を温存したいDNAを持った人を選んではいけない。
利権を守り、大増税を実現するため、これまで財務省は中途半端な金融政策に異を唱えてこなかった。それでは長引くデフレが解決されるわけがない。新しい日銀総裁人事では、こうしたパラダイム(理論的枠組み)の変換が必要なのである。
また、日本郵便の社長人事についても、昨年12月、どさくさに紛れて日本郵政株式会社の社長に就任した坂篤郎氏は財務省OBである。前任の斎藤次郎氏も財務省OB。自民党は政権公約で「天下りの根絶」を掲げているにもかかわらず、よもや日本郵政の社長を財務省からの天下り固定ポストにすることはないと信じたい。

2013年6月2日の北日本新聞「持論」での北川正恭氏
アベノミクスの第1の矢である金融緩和、第2の矢である財政出動を大胆に実施した。これから実質的な成長戦略を作り上げれば金融緩和・財政出動とは違って既得権益を持つ組織と対立せざるを得ないところが出てくる。
選挙を意識して第3の矢である成長戦略を骨抜きにしたら、これまでのインフレ政策は悪作用を起こしかねない。参院選後は第4の矢である財政再建の消費税が待っていて成長戦略に水を差しかねないが、実施しなければ国債の暴落につながりかねない。
その真っただ中で行われる参院選を従来型のバラマキ選挙にすれば、アベノミクスは「アベノリスク」になりかねない。
今国会でアベノミクスと共に社会のありようを大きく場面転換させるマイナンバー法とネット選挙解禁の公選法が成立した。
両法とも導入に踏み切った以上、副作用を最小化して前に進まざるを得なくなった。今回の法律制定だけでは不十分で改善の余地はあるが、紙文化からネット文化にかじを切ったことは行政や選挙の抜本改革につながり、日本の統治機構が根本から変えられることになる。今国会が本格的なIT時代の幕開けを告げる国会になるかどうか、その成否を問う参院選が、わが国で初めてのネット選挙で問われることになる。

政治活動に関わって…そして4年前の政権交代前夜は何だったのか?

トレンドをリフレへ、そしてアベノミクス、規制改革が話題になっているが、その中でも事業規制。…事務次官会議を民主党政権で廃止にしといて、あまりにも官僚がパージ(職場放棄)するものだから「野田首相の時に音をあげて官僚主導に戻った」といわれているが…、事務次官会議を実質的に復活させよう!という動きは、自民党らしい。特に事業規制関係は、高度経済成長時代に、あらゆるものを統一(モノトーン)させといた方が、同じようなものを大量生産して国民総生産を上げてきた時代には正しかったのだろう?
先進国の成功例だけ(中でも官僚等の利権や既得権・縄張りに都合の悪いものは排除)をキャッチアップして、官僚のトップたちが政治を決めて(省庁の利害関係を調整して)動かすようなやり方が時代遅れで、そのような組織は「誰も手を付けたことのないような未開の地に踏み込んでリーダーシップを発揮する」なんてことができないものだから、私に言わせればバブルが始まった1984年のプラザ合意(土地を上げるしか脳の無かった、羅針盤なき成り行き政治)から30年も経っているが、失われた20年(バブル崩壊時からの特に地方を中心に展開させた財政政策≒補助金や交付金制度・交付税措置)となり、先史以来の前代未聞の今に至る借金地獄になって行った。
何れにせよ、各省庁間の調整を(一般人の百倍も)得意技とする事務次官会議のようなところに「丸投げ」したところで、退官後に指定席(天下り)がある彼らに「腹を切る覚悟」なぞある訳がなく、「堂々巡り」がまた始まれば、3本目の矢は打ち上げ花火とはならないどころか、地獄を見るかも知れない。
兎にも角にも、金融政策で世が湧いて(喜怒哀楽)、肝心の構造改革は「何処行く風」、出先改革や統治機構改革は何処へ行ったのだろう。そもそも金融政策や財政政策だけで上手く行くはずがないのは、私たちが此処30年で学んできた歴史ではないか。
思い出せば15年間、石井紘基氏と出会って、政権交代を夢見て、それを果たしたのが4年前。私が「改革が成功するのも失敗するのも、新たな政治任用制度(ポリアポ)の確立!」と言ってきたが、結果その場しのぎ的で「やはり生煮え」で、「日本の再生」と「お任せ民主主義からの脱却」という一斉一隅のチャンスを失った責任は民主党にある。
政権末期に鳩山政権・副官房長官だった「松井孝治」氏が次のようなコメントを朝日と読売に残しているので、私たちが応援してきた証を忘れないためにも、日本の将来があるとしたらそのためにも、次に紹介して終わりにしたいと思います。明治維新以来の革命期の今こそ!忘れてはいけないことなのだ。

以下…朝日新聞(2012年7月22日)…
「私がやりたかったのは通産官僚だった時から手がけた行政改革と統治機構改革。橋本行革で一部は進んだが、まだやるべきことがあると政治の世界に入りました。」
…統治機構改革は道半ば…
「正直、半ばも行ってない。改革がうまく行く中で、次世代にバトンを渡したかった。」
…引退後は?…
「公職を終えても、何か他の専門分野に戻って行く社会の流動性は必要で、外国ではそれが普通。日本でそれが珍しいのは、政治を何か特別なものにしてしまっているからではないでしょうか」
…民主党の目指す政治主導の挫折…
「(自民党政権時代の)経済財政諮問会議がいま機能していれば、例年5月から6月に『骨太の議論』をし、予算編成に入った。現状では、諮問会議をパワーアップしてスタートするはずの国家戦略局が機能停止し、諮問会議ができる前の予算編成スタイルに戻ってしまった。これは政府・与党が真剣に反省しなければならない。オープンに議論し、リーダーが最終判断して国民に訴えていく場を作らなければならない。それが私の考える国家戦略局だ」「大事なのは、予算編成の細部は財務省など各省に任せても、大きな枠組みは政治が決める。ただし政治家は官僚とコミュニケーションをとり、使いこなさなければならない。それが初代の鳩山内閣では少々おろそかだった」
「民主党はいま、アイデンティティー・クライシス(自己喪失)に陥っている…民主党はそもそも何をめざす政党なのか、再認識しなければならない。国民からもう一度、民主党に期待していただくには、そのプロセスを避けては通れないと思います」
以下…読売新聞(2012年8月12日)…
…普天間問題で最後まで鳩山さんと相談していたのは、平野官房長官ら一握りのスタッフだけで、内政担当の私はもちろん、外交担当の松野官房副長官すら、実質的に中身の相談を受けていなかった。外務省や防衛省の役人も完全に退けられてお手上げの状態だったと聞いています。誰がほかの人たちを遮断したのか、という話は勘弁してください。…
内政では、政治主導が大きなテーマでした。それを具体化する両輪となるはずだった国家戦略局と内閣人事局の創設は、政権最初の臨時国会を大幅に延長してでも実現させるべきでした。思い返せば、全部タラレバの話なんですけど。
施政方針演説など国会の演説は、わりと思い通りに書けました。中央官僚時代に村山、橋本両内閣に仕え、総理の演説が各省のエゴで作られる実情を知っていたので、鳩山内閣では各省から(個別政策を記した)「短冊」は集めず、鳩山さんと直接相談して骨格を決めました。指導者には理想を語る言葉が不可欠だし、理想を軽々と語れる鳩山さんだからこそ、ああいう演説ができた面はあります。…
民主党が政権を担う準備が不足していたかどうかという議論は、例えば野球のピッチャーは、ブルペンのピッチングも必要だし、投げ込みも走り込みも必要だけど、やっぱり実戦で投げてはじめて成長する。民主党の場合、ピッチャーがフォアボールを出したらすぐ交代、ショートがエラーしたらすぐ交代。…
政治主導の根源は政治の安定なのに、人事権者が1年に何人も代わる。これでは、政治主導を言う資格はありません。ベンチの人間を全部出すことが全員野球じゃない。その意識が党として足りなかったことが一番の問題ですね。…

※これから都議選の応援に向かいますが、これらがレクイエムではあってはならないと感じる今日この頃です

6月8日(土)今朝の新聞を見て~離党から1ヶ月半

  6月8日(土)、今日の新聞を見たら「民主党富山県連の常任幹事会が昨日あった」と書いてある。当然、私はこの場に居たのではないので、こういう書き方をさせていただいている。その前の会が、1か月半ほど前の4月22日(月)にあって、明日の午前中から民主党富山県連大会が催されることが決定していました。
 今回の選挙結果は4月14日(日)未明に結果が判明し、次点に終ったのはご存知かと思いますが、実は今年の選挙は前回より1週間早かったため、実は市議会議員の任期は23日(火)までありました。
 その23日に、県連の三役宛で「常任幹事の辞退と離党届け」を県連幹事長に提出していただき受理されました(その場では「何れ常幹があるだろうけど不参加で良いですよ」との返事もあった)。
 さらに県連大会にも来なくても良いとのことでしたので、明日の大会には出席致しません。
 この期に及んで言い訳など話ししたくはありませんが、離党の意思を持ったのは、ちょうど1年位前だった。「総選挙前に離合集散と政界再編の動きがあるから」ということで、その場は身内だけの話で終わった。
 思えば、1999年5月に故・石井紘基衆議院議員の事務所の門を叩いてから13年の月日が経っていた。民主党の出身母体はバラバラ(「市民草の根派」「労働組合」「旧自民党」他…苦しい言い訳もして来た)、だけど官僚政治に終止符を打てるのは「既得権益、しがらみ」の無い、この党派しかないと…かなりの想い入れとモチベーションを持って運動してきた。
 翌年の小泉旋風にほんろうされ、特会改革と脱官僚天国の急先鋒であった「石井紘基」代議士の基で秘書をさせていただき、地元(世田谷)と国会を行き来した。
 2002年10月25日に先生が凶刃に倒れて、あっちこっちの選挙事務所に事務員としてお世話になり、2003年12月に帰郷(実は「この国の真実を皆さんに知らしめたい」と思い、石井紘基さんが1994年の羽田内閣の総務政務次官であったこともあり、代議士がご存命の頃は2003年の総選挙の出馬に照準を合わせていた)。
  2004年7月に行われた参院選との同日選だった県議補選(高岡市選挙区)に告示1週間前に出馬し次々点、9月から前・衆議院議員の村井宗明氏のお手伝いをさせていただきながら翌年5月からは、その年の7月に行われた郵政選挙で富山県第3区の向井候補の基で闘い惜敗、あらためて2005年8月から正式に村井氏の基で秘書を務めさせていただき~2007年・逆転の夏の参院選、2008年11月に秘書を辞め、2009年4月に富山市議会議員として初当選、6月にはいつもギリギリで当選していた石井氏門下の花輪智史都議(現在は維新の候補者)の応援に行き、前回の倍の票を確保し再選、そして政権交代。
 私の想いと政権運営が錯綜しながらも頑張ってきた4年間だった。昨年の今頃から何か煮え切らない想いを持ちながらも、村井宗明氏への最後のご奉公、衆院選を支えたいという想いで、民主党に留まり続けた。衆院選後に離党という方法もあったが、時すでに遅し、結果はご存知のとおりで、現在に至っています。

皆さん!お元気でいらっしゃいますでしょうか?

 本当に本当にご無沙汰しております。皆さまにおかれましては、益々ご清祥のことと心からお喜び申し上げます。 さて現在、おかげさまで私は新しい(何度目の?)フィールドに向かって、日々奔走の毎日をおくらさせていただいております。
 この度、NPO法人全国元気まちづくり機構を認定NPO法人へと昇格するための活動を本格化しております。ただ、今まで以上に魂は変わらぬパワーアップ路線で、富山における民間行政の魁となればと思っていますし、この活動が皆さまにとっても実り大きなものとなれば幸いです。
 そこで、この法人が主催する、来月の7月6日(土)~7日(日)にかけて、長野県の駒ヶ根で第三回目の「全国地域再生サミット」を内閣官房の官僚の皆様をお迎えして5百人規模で開催予定です。
 私も毎回参加させていただいておりますが、全国の様々なスキルを持った方々が一同に会し、同じフィールドで「予期せぬ化学反応(実践を持っての情報提供や議論)が展開する」極めて希なサッミットとなっており、参加者された方々にとっても収穫は大きい!と自負しております。
 是非この機会に万障繰り合わせの上、ご参加されることをお祈りさせていただきまして、ご案内と近況報告とさせていただきます。

6月定例会中(休会日)の出席行事~昨日まで

 6/16 在住校区の社会福祉協議会主催の「一人暮らし高齢者」の方々を地区センター公民館にお呼びしての会食&余興とカラオケ大会が行われ、参加させていただきました。
 6/16・17 昨年参加した「富山・在宅復帰をすすめる研究会」が今年(第9回)もありましたが、うっかり予約をしていなかったので、リンクだけさせていただき、お知らせとします。
 6/17 今年2回目の「若竹朝市」11月頃まで、今年も第1・第3日曜日:朝8時~あります(15分前位から並んでいるので…お早めに)
 6/22 毎議会の中日、昼休憩時に行われる「桐朋オーケストラ・アカデミー」のミニコンサート。今回は、フルート2本とピアノのアンサンブルという珍しいスタイルで、モーツァルトの「フィガロの結婚・序曲」と「魔笛からアリアの抜粋」等が演奏されました。
 6/24 2本の陳情視察を挟んで、キャスターの安村泉さん(朗読)withミノトオルさん(パーカッションと音風景:私の30年前のバンドメンバーでした)による「金子みすゞの心の風景」コンサートに行ってきました。お気に入りの詩歌を1片ご紹介:おはじき 空いっぱいのお星さま きれいな きれいな おはじきよ ぱらりと おはじき 撒きました どれから取ってゆきましょか あの星 はじいて こう当てて あれから あの星 こう取って 取っても取っても なくならぬ 空のおはじき お星さま
 6/30 党県連の「自治体議員団会議」に引き続き、「常任幹事会」に出席
 7/1 代議士の「むねあき政経懇話会」と「村井宗明後援会女性の会」の合同セミナー&昼食会に参加させていただきました。ゲストは、厚生労働副大臣「西村智奈美・衆議院議員」です。正に「社会保障と税の一体改革」の衆院採決直後の会だっただけに、お隣の県選出の国会議員で代議士と同期とは言え、大臣の肩書きと時期、とても微妙な会となりました。私にも演壇に立たさせていただく機会を得て、「真の政治家の行動の原動力とは、理念・信念であること」を冒頭で発言、税率を上げ(増税し)なくても、増収になる方法を思いつくまま挙げさせていただきました。①歳入庁の創設 ②マイナンバー制の導入で個人資産の掌握 ③外形標準課税の導入 ④天下り法人・特別会計改革(廃止&代議士案:既得権外の民間会社も含めた一般競争入札)によるムダ遣い+税収増 ⑤行政事業の民間への業務の「のれん分け」 ⑥公共事業の民間からの資金調達の工夫を加速 ⑦出先機関の廃止・縮小(最大5重事業を2元化)…。
 7/3~7/5 我が会派の視察:今回は被災地(岩手県山田町)ガレキ広域処理のための試験処理済地(秋田市総合環境センター)とガレキ破砕選別施設(山田町現場作業地)を訪れました。詳細は後日に報告。
 7/6 党県連の緊急常任幹事会
 7/7 地域と共生する大学づくりのための全国縦断熟議:熟議2012 in 富山大学「災害が起きたらどうする?」に参加して来ました(8チーム82名で行われ、ファシリテーターを加え4時間の熟議後、プレゼンテーションを行った)。詳細は後日に報告。夜は「壁からじゃ~ん!?荒町七夕ナイト」と名をうった「旅館きよた」の裏壁に映像を投影に、生演奏で「ピカソニック」が参加。小林師匠のオリジナル曲で共演させてもらいました。
 7/8 明けて早朝は、第175回「富山市中央倫理法人会」の100人モーニングセミナーに幹事として参加。講師に「松原勝久」氏(6万人以上の国会審議請願署名を集め移植法の改正に尽力された)で演題は「生きるとは」。家に戻り休憩後は、実家地区の「らっきょ掘り体験まつり」に参加。雨模様にも拘らず、この日を待ち望んでいた多くの方々で賑わった。
 7/9 観光ホテルで、地元の「敬老会」(参加者:116名、役員27名)での「お祝いの言葉」をかけさせていただきました。内容は…
 皆さん、こんにちは。今日は年に一度の敬老会ということで、お元気でいらっしゃったでしょうか?
 昨年、東北では大きな災害(部分的には壊滅的な)がありました。福祉避難所という言葉を聞いたことがおありでしょうか?一般の避難所とは別にあるのです。関係者以外にはなかなか分からない。県や市の職員でさえ、その存在を知っている方々は少ないといいます。今回の震災で初めて、あるNPO団体が支援したことによって、把握されるようになったというのです。それもその筈、国の厚生労働省管轄で、使い古された言葉ですが「縦割りの弊害」、悲惨な現場があったとのことです。
 このように、いざ!という時に、何処にどの様な日常生活を送っていらっしゃる高齢者がいらっしゃるのか?独居でおられるのか?老夫婦だけでおられるのか?家族の方々のライフサイクルは?寝たきりなのか?介助の方はおられるのか?健康でも足は不自由ではないか?等々…近所(の力になっていただける方々)に伝わっていなかったことから、不幸になってしまわれた方々が大勢いらっしゃると聞いております。
 個人情報保護法の壁にぶちあたって、民生委員の方々や社会福祉協議会の方々が、把握・訪問できないという現状(問題)もあり、今年から富山市では、自らの情報を登録して(アンケートに応えて)いただいて、非常時(何かあった時のため)に開示するという仕組み(制度)も始めました。
 また、栗山に「シルバーケア栗山」というところがありますが、富山市では中学校区に1つ位の割合で、地域包括センターがあります。今年度からは、医師会と介護関係者が連携して24時間見回り体制の「地域包括ケアシステム」も始まっています。災害でなくとも、いざ!という時のために、また個々人の状況に合わせて、相談(プランを作成)されていると良いと思います。せっかくの制度ですから、このようなものも大いに使っていただいて、この国の豊かさを作っていただいた皆さんが益々元気でおられることを祈念して、お祝いの言葉と致します。ありがとうございました。
 中座して、午後からは「議会報編集委員会」に委員として出席しました。
 7/10 富山国際大学教授で、富山県小水力利用推進協議会の「上坂博亨」氏と面談させていただき、ある物件を例に小水力発電に関する「あれこれ」について相談させていただきました。「今後の展開・運動方針が見えてきた」そんな貴重な時間を頂きました。
 7/11~13 厚生委員会の視察:「宇部市障害者就労ワークステーション」、福岡市「放置サイクルZERO宣言」、「まもるーむ福岡(福岡市保健環境センター)」で学んでまいりました。詳細は後日報告。
 7/14 第33回「若竹パークゴルフグリーン会」のコンペに参加(神通川対岸の「婦中神通パーク場」での初会場体験)
 7/15 昨日は、アートギャラリー栄で、義理の姉の絵画仲間で、私の在住校区にお住いの「古田恵子」さんの個展に行って参りました。主に「繭」をモチーフとした象徴派タイプの作風で、「耽美」と「危うさ」が同居したものが中心で、あえて遠近法を用いないところも特徴です。
 今週は大阪でセミナーを受け、週末からは各町内の納涼祭に突入します。

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