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選挙・政党関連

昨日「村中たかゆき後援会りんじ事務所開き」がありました

10年前にこの地に立って
① 熊野校下に新興住宅地が1200件ほどあるこの地にスーパーマーケットがなかったこと
② 地域公共交通と、お出かけ定期券が市民病院と星井町以北でないと100円で行けない
③ 熊野幼稚園の廃止問題☞跡地は新設部分が耐震構造☞市が中学校単位で児童館という話もあった(5年前)
8年前に議員になって
① 通学路の確保
ⅰ歩道の除雪
ⅱ橋の欄干のメンテナンス
ⅲ興南中学への通学路の確保(土川の橋上の融雪装置):協力(興南中学校のPTAと5丁目の融雪組合)
② 子育て支援で保育所の増設等を市政報告会の開催を通して意見徴収☞議会で数度訴えて、幼保の一体化(認定こども園の許可がおり増設)
③ 私道を市に寄付☞市道のアスファルト化で除雪を行政で(上栄と森田他で)
④ 用水の中島化(1丁目)を解消
⑤ ゲリラ豪雨&洪水対策(用水は市の管理だが、使っているのは農家においての稲作、住宅地においての雨水用水と側溝)☞休耕地や耕作放棄地、転作の奨励で用水の水門管理が従来通りにならなくなった☞市に用水マップの作成と管理の依頼☞5丁目の側溝回収に側面から支援させていただきました
やり残した課題
① 田んぼの法面や側溝の除草対策(マンパワーが足りなくなっている)☞NPOの活用
② 公共交通の推進
③ 市街化調整区域によるスーパーの新設☞富南会館の新設の際に市街化調整区域の見直しがあって、青地を白地に変えた☞次回の市街化調整区域の策定(5年間)に期待!
④ 4月から要介護支援1&2の厚労省から市への助成がなくなる☞新たなる支援策を市町村の自治体が独自に策定中4月から新しいスキームができるが、「みんなの家」(若竹、岩瀬)が先駆けで、運用面で地域に使い勝手が良いものにしたい☞それを各地に全面展開したい
⑤ 何卒、私を市政壇上へと上げていただくためにも、これからも皆さんと相談させていただきながら、「子育て支援」や「高齢者対策支援」等、若いお母さんたちの働く時間と場を確保等して地域経済の更にの活性化、皆さんと相談しながら「地域コミュニティ」の発展に尽くして行ければと考えておりますので、後援会活動ならびに選挙において、ご支援・ご協力のほど宜しくお願い致します。
里山資本主義
① 旧細入・大沢野地域はこの地とノーベル街道、旧飛騨街道として繋がっている地域です。
② かつての資源の宝庫であった「里山」は、過疎化が進み荒れ放題になりつつあります。
③人口減少化時代、労働生産人口激減の時代に合って、観光は日本経済の伸び代と言われています。
④ 里山とここ田園住宅地、中心市街地を繋ぐ、村中隆之の出身地を代表して、彼を大いに使ってやって欲しいと思います。

富山市政に再チャレンジ! 持続可能な富山市へ…未来の子ども達・おとな達へ…そして今!

今世紀に入って、日本は「限られた財源」の中、「地域のことは地域で決める」という道州制をも視野に入れた「分権国家」へと着実に進んで来ました。しかし現政権は、むしろ中央集権化へと舵をきりました。私は今一度「地域主権・出先改革」を推進するために「金太郎飴のような日本」から、疲弊し始めた地方の「その地域らしさ(自立できる多様な日本)」取り戻す運動を始めよう!と、方向を同じくする元県会議員等とともに地域政党「新政とやま」の結成へと歩み始めました。
愛する日本!しかし現状は、従属を強いて自立させてくれない「この国の教育」と、それに群がる議員等の権力亡者に溢れています。最近の富山市議会議員等による「政務活動費の不正受給」は、このような緊張感のない(市民不在の)政治的背景が生んだ代物です。
昨年はAI元年とも言われ、政府が成長の中心に据えましたが、「人が人を支え合う社会が本来の私たちの社会ではなかったか?」とても危機感を持ちました。改めて「もう一方の地域社会の実現」に向けて、市政にチャレンジします!

主な「村中たかゆき≪プロフィール≫」
富山市猪谷出身 富山市若竹町在住
学歴:細入村・大沢野町学校組合立楡原中学校~県立八尾高校卒業~国立富山大学中退
2017年現在:富山市熊野自治振興会理事、若竹町公民館副館長、若竹町連合町内会副会長(地域公共交通推進委員長)、アースデイとやま実行委員会委員、神通峡再生物語メンバー
故衆議院議員・石井紘基秘書(世田谷区太子堂&国会事務所)~元衆議院議員・村井宗明秘書(富山市館出町事務所)を歴任
2009年4月 富山市議会議員に初当選~2013年4月 富山市議会議員選挙にて77票差で次点惜敗
党派の推移:民主党☞維新の党☞新政とやま(国政無所属)結成へ
影響を受けたミュージシャン:昨年他界したデヴィッド・ボウイ
1978年2月~83年2月 ライヴハウス-メディア経営
2004年10月~06年7月 シティFMの番組パーソナリティ
2013年12月~15年1月 NPO法人・全国元気まちづくり機構の職員

イメージ操作の一面も

 ニュースを読み解く「国民総所得のアップ」池上彰 北日本新聞2013年7月28日(日)

 安倍首相は選挙中、「一人あたりの国民総所得を10年間で150万円増やす」と宣言しました。(中略)
 かつて1960年代、池田隼人首相は「10年間で皆さんの所得を倍増させます」と国民に約束し、これを実現させました。これとイメージが重なるのですが、似て非なるものなのです。(中略)
 国民総所得(GNI)とは、GNP(国民総生産)と同じ数字です。
 いま国の経済指標としてよく使われているのはGDP(国内総生産)ですね。(中略)
 これに対してGNPは日本の企業が海外で生産した商品やサービスも含まれます。(中略)
 GNPは日本の企業が生産したものを金額で表したものですから、これを買うため支払われた金額であるGNE(国民総支出)と同額になります。さらに日本の企業が得た所得であるGNIとも同額です。(中略)
  「総生産を増やす」というよりは「総所得を増やす」と言った方が、私たちの所得が増えるイメージがありますよね。いわばイメージ操作と言っていいでしょう。
 しかし、GNPは日本の企業が海外で生産したものも含まれます。(中略)
 国内の労働者の給料が減っても「国民総所得は増える」ということもあるんです。
 GNIには個人の所得だけではなく、企業の所得も含まれます。(中略)
 こう考えると、「一人あたりの国民総所得が増えた」となっても、一人あたりの純所得は減ってしまうことがあります。これでは言葉のマジック。ウソは言っていないけれど、有権者に誤解させる。(中略)

官僚縦割り支配が続くのは、ポリアポ・統治改革を議論しない政党政治にあり

 官僚セクショナリズム(縦割り)支配が未だに続くのは、政治任用(ポリアポ)・統治改革を語らない(議論しない)政党政治にある。参院選はパスして、次の衆院選に向け熟議を始めよう。
 -「日本再生」新聞410号の記事「日本の意思決定システムと民主党政権の失敗」:村井哲也氏からの抜粋-
 …官僚機構が強みを発揮するのは、現状維持するときだけです。現状を変更しようとすると、しかも弱いパトロンが変更しようとすると強力に抵抗します。パトロン(である自民党)が弱体化したということは、官僚機構も弱体化したということです。
 …高度成長期の公共事業はインフラ整備によって経済成長につながったのも事実ですが、80年代くらいからは、それがだんだんなくなってくる。気がつけば、予算の膨張とⅰセクショナリズム*を解決するのが不可能になっている。
 こうしたなかで90年代後半に生まれた民主党は、市場原理によって、田中派支配の腐敗政治から透明で公平な意思決定ルールが持たされる、と言っていました。
 ところが2001年4月に、小泉純一郎政権が構造改革を掲げ登場します。これは究極のⅱ包括政党化*戦略です。どう考えても本来は小泉構造改革に賛成とは思えない党員たちも含め、「小泉を首相にしよう」と言い出す。そうなると、民主党はアイデンティティ・クライシスに陥るわけです。…代わりに入るのが「生活者優先」。看板政策を奪われてしまうと、民主党も極端な方向に行かされちゃうわけです。
 …実は官邸主導が成功したといっても、異常なまでの国民的な人気がないと、あそこまでできなかったと思いますが、なんと言ってもやはり裏での舞台回しが上手かった。
 …経済財政諮問会議を始めとする官邸主導は、橋本行革の成果と言われるわけですが、やはりそれは抜群の舞台回しがあってこそです。例えば、官僚が抵抗すると議事録をホームページに公開して、事業仕分けでもこれと同じことをやった。それは成功するのですが、経済財政諮問会議のときの情報公開は、官僚機構にとって初めての経験であって衝撃を受け、対応が後手に回った。ところが事業仕分けのときは、各省庁とにかく全部情報公開をする。大量に情報公開すると、メディアも学者もチェックしきれない。そういうことがわからないまま、表向きの制度幻想だけが植えつけられたと言えます。
  …生産年齢人口のピークは1995年です。改革の時代を引っ張ったのは、団塊を中心とした世代ですが、2000年代に入ると、これらの人たちが年金受給年齢に達してきます。公共事業の既得権益を批判してきた人たちが、社会保障の既得権益者になっていく、という皮肉な現象が起きてくる。その現象が、菅直人だったりするわけですが。
 …もうひとつ、民主党政権は「予算の総組み替え」と言ったわけですが、「コンクリートから人へ」というのは、実は小泉政権でガンガンやってしまった。1990年代までは一般会計で、公共事業費と社会保障関係費はだいたい拮抗していた。ところがそこから公共事業費は右肩下がりで数兆円、一方で社会保障費は右肩上がりで20数兆円です。
 …「鳩山由紀夫はだらしない」と言われていますが、当時のことをお聞きすると、鳩山政権ってけっこう強力だったようです。なぜなら戦後の意思決定システムの中では、総選挙で勝利した政党の党首というのは、圧倒的に強いからです。参議院も下手に手出しできない。官僚もみんな言うことを聞いた、と言うんです。
 …自民党でも、小泉郵政総選挙で当選した議員は、安倍も福田も麻生の言うことも聞かなかった。なぜなら「小泉が首相の時に公認されて与党議員になった」という意識になるからです。やっぱり、参議院選挙で負けたといって首相が変わっちゃダメだと思います。
  …まず、政治主導とは何だろうかということです。と言いますのは、歴史の後付けでいい恰好をする人が多い。自己反省も含めて。
 さんざん政治主導を煽っておいて、民主党が失敗した途端に「いかに官僚を使いこなせるかだ」とかいう論調に変わる。
 …官僚はそもそも単独では政治権力を主導できない。強力な政治権力がなきゃいけない。さらに単独ではセクショナリズムを解決できず、組織と予算の膨張を単独では解決できず、単独では現状を打破できない。それをできるのは政治権力だけだということです。政治権力の何が本来の強みかと言えば、各省庁のセクショナリズムと違って、一致団結した政策と理念でこれらを統合できるからです。
 …薩長幕藩というのは、そもそも政策集団じゃない。江戸幕府を権力から追い落とすための権力集団ですから、明治維新が成功して、明治国家が軌道に乗ったら、本当は使命が終わっている。桂が政権を握って苦労したのは、藩閥は政策集団ではないので政策がバラバラになってしまうことでした。
 …確たる綱領がなかった民主党の弱点はそこで、それをマニフェストで代替させようとしたところに、無理がありました。マニフェストは綱領の補完的なツールに過ぎないのに、細かい数字を入れてしまった。そしてマグナカルタからは、ⅲ財政膨張的なマニフェスト*になったと。さらに話を聞いていくと、民主党のマニフェストは「短冊」の寄せ集めでした。つまり、政策や理念を統合していない代物だった。いろんな人の言い分けを盛り込んでいって、実は理念を共有していないというのが、あのマニフェストだと。
 自民党政権にしても、政官の役割分担があまり必要じゃなかったときに黄金時代を過ごしてきました。
  …国家の意思決定システムは、時代に合わせて変貌する生き物であり、今の時代にあった対応をしなければいけないにもかかわらず、自民党も民主党もそうなっていません。
 …そしてやはり、自民党との差異化に非常に苦労したと、差異化しないと国民に訴えられません。「なぜ経済諮問会議を使わなかったんですか。国家戦略局なんて権限がないから、官僚が言うこと聞くわけない。経済諮問会議なら権限いっぱいあるではないですか」というと、「自民党の象徴として攻撃してきたから、使うわけにはいかなくて」と。
 …学者もメディアも、本音の部分では政権交代の先を考えてなかった。やっぱり坂本竜馬的な、その後のことまでは考えないロマン主義だった。そうではなくて、システムを機能させるためずっと汗をかき続ける覚悟が必要だった。黄金時代の自民党議員はそれをやってきただろう、と。
 戦後国家が金属疲労を起こしていることは、間違いありません。過剰包括化した自民党が戦略を続けられるかと言ったら、もうそんな配分の果実はありませんし、未だに官僚機構は役割分担を見いだせずに、強力な頼れるパトロンを探し求めて漂流している。
 …財政赤字と少子高齢化の中で、包括政党化はもはや限界です。選択と集中をしなくてすんだ時代というのは、世界史的に見ても二度と来ません。中国だっていずれ終わります。その時に中国共産党は大変だと思いますが。
  …情報が公開されないと、われわれ歴史屋は分析できません。過去の資料を分析して、現状がデータ的にどうなっているか。あるいは過去、意思決定システムを機能させるためにどうしたかということを、語り継がなきゃいけないわけです。でも日本は情報公開しない国なので、国家戦略が描けない。国家戦略は歴史を描くところから始まります。だからアメリカは情報公開を徹底するわけです。
 …過去の意思決定システムをどうやって回して来たのかが語り継がれないし、ケーススタディもない。そうすると「イギリスはこうだ」とか言う人が出てくるわけです。しかしイギリスの政治学者に言わせると「イギリスの意思決定システムや制度は、イギリスの伝統と歴史の中にあるもので、簡単に真似できるものではない」と言うわけです。他国との比較は重要ですが、これに日本固有の歴史を重ね合わせないと意味が薄くなると思います。
 …意思決定システムはどういうふうに回ってきたかという、過去のケーススタディを見ることによって、現在のグランドデザインをどう描いていくかの材料を見出すこと。そしてご都合主義的に過去の歴史をあてはめることではなくて、そのケーススタディからどのような示俊を今後に役立てるか、ということが必要なのだろうと思います。

*は、以下に分かり易く、僕なりの比喩です。
ⅰセクション(省庁・部課)縄張り主義
ⅱ総合デパート・百貨店
ⅲ郊外型ショッピングモール

アップしそこねた記事を一挙に書き込み


最初に衆院選前の2012年10月15日、ノンフィクション作家の塩田氏の講演から~
・・・私は代表の橋元徹大阪市長を3点で評価している。一つ目は、実行しようとする政策を掲げて、選挙で支持を得た上で政治をやっている点。これは民主主義の正しい方向だ。二つ目は自分で決定して実行するパワーが大きい点。三つ目は統治システムの見直しをやっている点。制度疲労を起こしている現行の統治システムに強い関心を持つことは賛成だ。・・・
・・・形とは政策を実行するときのシステムであり、統治機構の問題だ。現在の憲法は、政治リーダーや権力者が権力を抑制的に使うように拒否権の仕組みが大きく埋め込まれていて、リーダーシップが発揮しにくい憲法になっている。最終的にはこの見直しが必要ではないか。・・・

2012年11月19日発行の政経週報「It’s 小タイム」日本維新の会・松野副代表の寄稿より~
わが国は今、明治維新、終戦に次ぐ、時代の大きな転換点に立っています。3年前の政権交代、あのとき国民が民主党に期待したのは、140年も続いた中央集権と官僚統制の仕組みを抜本的に変え、肥大化した天下り法人、そこに流れ込む税金の無駄遣いに斬り込むことだったはずです。
当時国民は、それまで政権を担っていた自民党に対して、戦後復興と高度成長に導いた功績と、平時の政権担当能力についてはそれほど疑いを持っていなかったと思います。しかし、中央集権体制の下、長年、官僚組織と寄り添ってきた自民党には、統治機構改革や徹底した行財政改革はできない、だからこそ政権担当能力に不安は残るが、少なくともしがらみのない民主党に一回はやらせてみようと国民は託したのです。
その結果は、ご承知の通りです。なぜ民主党政権は失敗したのか。既得権益を擁護する勢力や官僚機構を説得し、押さえ込む迫力に決定的に欠けていたためです。既成政党が有していないリーダーシップがどうしても必要な理由であります。
日本はまさに瀬戸際まで来ています。この日本を覆う閉塞感を克服し、国民の希望を取り戻すためには、日本再生のためのグレートリセット(解体的出直し)が必要です。野田首相は先の所信表明で「極論の先に真の解決はありません。中庸を旨として対立を乗り越えていく」と述べました。しかし、今大切なのは、過去の常識と決別することです。歴史を振り返れば、局面局面における大胆な一手が、時代を切り開いてきたのです。

2013年2月18日発行の政経週報「It’s 小タイム」みんなの党・渡辺代表
・・・財務省次官級OBの天下りによる人事には反対している。財務省は統制型システムの利権を守りたいがために日銀総裁にOBを天下りさせてきたからである。
まず「日銀ネット」に入っている全ての金融機関に資金供給や考査を通じて、にらみが効く。地銀などは財務官僚の有力天下りポストである。次に、日銀が大胆な金融政策を実施するようになると、為替は財務省による為替介入ではなく、金融政策で決まるということがはっきりする。財務省の為替介入や、その結果積み上がった外国為替資金特別会計は不要になる。こうした既得権を温存したいDNAを持った人を選んではいけない。
利権を守り、大増税を実現するため、これまで財務省は中途半端な金融政策に異を唱えてこなかった。それでは長引くデフレが解決されるわけがない。新しい日銀総裁人事では、こうしたパラダイム(理論的枠組み)の変換が必要なのである。
また、日本郵便の社長人事についても、昨年12月、どさくさに紛れて日本郵政株式会社の社長に就任した坂篤郎氏は財務省OBである。前任の斎藤次郎氏も財務省OB。自民党は政権公約で「天下りの根絶」を掲げているにもかかわらず、よもや日本郵政の社長を財務省からの天下り固定ポストにすることはないと信じたい。

2013年6月2日の北日本新聞「持論」での北川正恭氏
アベノミクスの第1の矢である金融緩和、第2の矢である財政出動を大胆に実施した。これから実質的な成長戦略を作り上げれば金融緩和・財政出動とは違って既得権益を持つ組織と対立せざるを得ないところが出てくる。
選挙を意識して第3の矢である成長戦略を骨抜きにしたら、これまでのインフレ政策は悪作用を起こしかねない。参院選後は第4の矢である財政再建の消費税が待っていて成長戦略に水を差しかねないが、実施しなければ国債の暴落につながりかねない。
その真っただ中で行われる参院選を従来型のバラマキ選挙にすれば、アベノミクスは「アベノリスク」になりかねない。
今国会でアベノミクスと共に社会のありようを大きく場面転換させるマイナンバー法とネット選挙解禁の公選法が成立した。
両法とも導入に踏み切った以上、副作用を最小化して前に進まざるを得なくなった。今回の法律制定だけでは不十分で改善の余地はあるが、紙文化からネット文化にかじを切ったことは行政や選挙の抜本改革につながり、日本の統治機構が根本から変えられることになる。今国会が本格的なIT時代の幕開けを告げる国会になるかどうか、その成否を問う参院選が、わが国で初めてのネット選挙で問われることになる。

政治活動に関わって…そして4年前の政権交代前夜は何だったのか?

トレンドをリフレへ、そしてアベノミクス、規制改革が話題になっているが、その中でも事業規制。…事務次官会議を民主党政権で廃止にしといて、あまりにも官僚がパージ(職場放棄)するものだから「野田首相の時に音をあげて官僚主導に戻った」といわれているが…、事務次官会議を実質的に復活させよう!という動きは、自民党らしい。特に事業規制関係は、高度経済成長時代に、あらゆるものを統一(モノトーン)させといた方が、同じようなものを大量生産して国民総生産を上げてきた時代には正しかったのだろう?
先進国の成功例だけ(中でも官僚等の利権や既得権・縄張りに都合の悪いものは排除)をキャッチアップして、官僚のトップたちが政治を決めて(省庁の利害関係を調整して)動かすようなやり方が時代遅れで、そのような組織は「誰も手を付けたことのないような未開の地に踏み込んでリーダーシップを発揮する」なんてことができないものだから、私に言わせればバブルが始まった1984年のプラザ合意(土地を上げるしか脳の無かった、羅針盤なき成り行き政治)から30年も経っているが、失われた20年(バブル崩壊時からの特に地方を中心に展開させた財政政策≒補助金や交付金制度・交付税措置)となり、先史以来の前代未聞の今に至る借金地獄になって行った。
何れにせよ、各省庁間の調整を(一般人の百倍も)得意技とする事務次官会議のようなところに「丸投げ」したところで、退官後に指定席(天下り)がある彼らに「腹を切る覚悟」なぞある訳がなく、「堂々巡り」がまた始まれば、3本目の矢は打ち上げ花火とはならないどころか、地獄を見るかも知れない。
兎にも角にも、金融政策で世が湧いて(喜怒哀楽)、肝心の構造改革は「何処行く風」、出先改革や統治機構改革は何処へ行ったのだろう。そもそも金融政策や財政政策だけで上手く行くはずがないのは、私たちが此処30年で学んできた歴史ではないか。
思い出せば15年間、石井紘基氏と出会って、政権交代を夢見て、それを果たしたのが4年前。私が「改革が成功するのも失敗するのも、新たな政治任用制度(ポリアポ)の確立!」と言ってきたが、結果その場しのぎ的で「やはり生煮え」で、「日本の再生」と「お任せ民主主義からの脱却」という一斉一隅のチャンスを失った責任は民主党にある。
政権末期に鳩山政権・副官房長官だった「松井孝治」氏が次のようなコメントを朝日と読売に残しているので、私たちが応援してきた証を忘れないためにも、日本の将来があるとしたらそのためにも、次に紹介して終わりにしたいと思います。明治維新以来の革命期の今こそ!忘れてはいけないことなのだ。

以下…朝日新聞(2012年7月22日)…
「私がやりたかったのは通産官僚だった時から手がけた行政改革と統治機構改革。橋本行革で一部は進んだが、まだやるべきことがあると政治の世界に入りました。」
…統治機構改革は道半ば…
「正直、半ばも行ってない。改革がうまく行く中で、次世代にバトンを渡したかった。」
…引退後は?…
「公職を終えても、何か他の専門分野に戻って行く社会の流動性は必要で、外国ではそれが普通。日本でそれが珍しいのは、政治を何か特別なものにしてしまっているからではないでしょうか」
…民主党の目指す政治主導の挫折…
「(自民党政権時代の)経済財政諮問会議がいま機能していれば、例年5月から6月に『骨太の議論』をし、予算編成に入った。現状では、諮問会議をパワーアップしてスタートするはずの国家戦略局が機能停止し、諮問会議ができる前の予算編成スタイルに戻ってしまった。これは政府・与党が真剣に反省しなければならない。オープンに議論し、リーダーが最終判断して国民に訴えていく場を作らなければならない。それが私の考える国家戦略局だ」「大事なのは、予算編成の細部は財務省など各省に任せても、大きな枠組みは政治が決める。ただし政治家は官僚とコミュニケーションをとり、使いこなさなければならない。それが初代の鳩山内閣では少々おろそかだった」
「民主党はいま、アイデンティティー・クライシス(自己喪失)に陥っている…民主党はそもそも何をめざす政党なのか、再認識しなければならない。国民からもう一度、民主党に期待していただくには、そのプロセスを避けては通れないと思います」
以下…読売新聞(2012年8月12日)…
…普天間問題で最後まで鳩山さんと相談していたのは、平野官房長官ら一握りのスタッフだけで、内政担当の私はもちろん、外交担当の松野官房副長官すら、実質的に中身の相談を受けていなかった。外務省や防衛省の役人も完全に退けられてお手上げの状態だったと聞いています。誰がほかの人たちを遮断したのか、という話は勘弁してください。…
内政では、政治主導が大きなテーマでした。それを具体化する両輪となるはずだった国家戦略局と内閣人事局の創設は、政権最初の臨時国会を大幅に延長してでも実現させるべきでした。思い返せば、全部タラレバの話なんですけど。
施政方針演説など国会の演説は、わりと思い通りに書けました。中央官僚時代に村山、橋本両内閣に仕え、総理の演説が各省のエゴで作られる実情を知っていたので、鳩山内閣では各省から(個別政策を記した)「短冊」は集めず、鳩山さんと直接相談して骨格を決めました。指導者には理想を語る言葉が不可欠だし、理想を軽々と語れる鳩山さんだからこそ、ああいう演説ができた面はあります。…
民主党が政権を担う準備が不足していたかどうかという議論は、例えば野球のピッチャーは、ブルペンのピッチングも必要だし、投げ込みも走り込みも必要だけど、やっぱり実戦で投げてはじめて成長する。民主党の場合、ピッチャーがフォアボールを出したらすぐ交代、ショートがエラーしたらすぐ交代。…
政治主導の根源は政治の安定なのに、人事権者が1年に何人も代わる。これでは、政治主導を言う資格はありません。ベンチの人間を全部出すことが全員野球じゃない。その意識が党として足りなかったことが一番の問題ですね。…

※これから都議選の応援に向かいますが、これらがレクイエムではあってはならないと感じる今日この頃です

今日で選挙結果が判明してから2ヶ月が経ちました

富山市議会議員も前職(正確には身分保障もなく職業ではない)となり、民主党を離党し(同時に党員およびサポーター集めや登録活動も止めました)、今は私の政治的目標でもある民間行政の確立に向って助走中ですが、都議選は同志でもある世田谷の前都議会議員「花輪智史」(日本維新の会)さんの応援に来週は向かいます。参院選は微力ながら、私の選挙でも後援会として推薦をいただいた、全国区の参議院議員「広野ただし」(生活の党)を応援させていただきます。
何れにせよ、この辺りで整理をしたいので、9日に引き続いて、出席行事等を列記させていただきます。
4月7日(日)必勝祈祷~出陣式~若竹町連合町内会・定時総会
4月8日(月)興南中学入学式(今年から3クラスから4クラスとなった)
4月14日(日)開票(次点)
4月18日(木)若竹町連合公園愛護会「観桜会」(雨のためちょっとだけで中止)
4月20日(土)興南中学・教職員合同歓送迎会
4月21日(日)富山市中央倫理法人会・経営者モーニングセミナー(この日から非会員)~熊野小学校教職員歓送迎会
4月22日(月)民主党富山常任幹事会
4月23日(火)富山市議会民政クラブに最後の挨拶~民主党県連幹事長に「常任幹事の辞退と民主党離党届け」を提出(受理)~富山市議会議員任期満了
4月30日(火)臨時後援会事務所(選挙事務所にしていた場所)の閉鎖
5月1日(水)就労継続支援B型事務所「おらとことんとん夢工房」開所式
5月2日(木)特定非営利活動法人「全国元気まちづくり機構」の事務局会議
5月6日(月)支援者宅「感謝の気持ちの日」
5月12日(日)若竹町・春季祭礼
5月18日(土)民主党第3区総支部長の結婚式
5月19日(日)アースデイとやま~ダーリン10周年ライブ
5月25日(木)&29日(水)もてなし講座「笑顔と健康」(そよかぜ農産物直売所)
6月9日(日)参議院議員・広野ただし事務所開き

6月8日(土)今朝の新聞を見て~離党から1ヶ月半

  6月8日(土)、今日の新聞を見たら「民主党富山県連の常任幹事会が昨日あった」と書いてある。当然、私はこの場に居たのではないので、こういう書き方をさせていただいている。その前の会が、1か月半ほど前の4月22日(月)にあって、明日の午前中から民主党富山県連大会が催されることが決定していました。
 今回の選挙結果は4月14日(日)未明に結果が判明し、次点に終ったのはご存知かと思いますが、実は今年の選挙は前回より1週間早かったため、実は市議会議員の任期は23日(火)までありました。
 その23日に、県連の三役宛で「常任幹事の辞退と離党届け」を県連幹事長に提出していただき受理されました(その場では「何れ常幹があるだろうけど不参加で良いですよ」との返事もあった)。
 さらに県連大会にも来なくても良いとのことでしたので、明日の大会には出席致しません。
 この期に及んで言い訳など話ししたくはありませんが、離党の意思を持ったのは、ちょうど1年位前だった。「総選挙前に離合集散と政界再編の動きがあるから」ということで、その場は身内だけの話で終わった。
 思えば、1999年5月に故・石井紘基衆議院議員の事務所の門を叩いてから13年の月日が経っていた。民主党の出身母体はバラバラ(「市民草の根派」「労働組合」「旧自民党」他…苦しい言い訳もして来た)、だけど官僚政治に終止符を打てるのは「既得権益、しがらみ」の無い、この党派しかないと…かなりの想い入れとモチベーションを持って運動してきた。
 翌年の小泉旋風にほんろうされ、特会改革と脱官僚天国の急先鋒であった「石井紘基」代議士の基で秘書をさせていただき、地元(世田谷)と国会を行き来した。
 2002年10月25日に先生が凶刃に倒れて、あっちこっちの選挙事務所に事務員としてお世話になり、2003年12月に帰郷(実は「この国の真実を皆さんに知らしめたい」と思い、石井紘基さんが1994年の羽田内閣の総務政務次官であったこともあり、代議士がご存命の頃は2003年の総選挙の出馬に照準を合わせていた)。
  2004年7月に行われた参院選との同日選だった県議補選(高岡市選挙区)に告示1週間前に出馬し次々点、9月から前・衆議院議員の村井宗明氏のお手伝いをさせていただきながら翌年5月からは、その年の7月に行われた郵政選挙で富山県第3区の向井候補の基で闘い惜敗、あらためて2005年8月から正式に村井氏の基で秘書を務めさせていただき~2007年・逆転の夏の参院選、2008年11月に秘書を辞め、2009年4月に富山市議会議員として初当選、6月にはいつもギリギリで当選していた石井氏門下の花輪智史都議(現在は維新の候補者)の応援に行き、前回の倍の票を確保し再選、そして政権交代。
 私の想いと政権運営が錯綜しながらも頑張ってきた4年間だった。昨年の今頃から何か煮え切らない想いを持ちながらも、村井宗明氏への最後のご奉公、衆院選を支えたいという想いで、民主党に留まり続けた。衆院選後に離党という方法もあったが、時すでに遅し、結果はご存知のとおりで、現在に至っています。

皆さんから頂いた期待と貴重な意思表示に対して酬いえなかったことに…

このたびは本当に多くの皆さんから、たくさんのご声援・ご期待をいただいたにも関わらず、お応えできない結果となり心からお詫びを申し上げます。今一歩、私の力が及ばず皆様の民意を託していただくには至りませんでした。
とても厳しい状況にありながら、普段の日常をおしてでも夜遅くまで明るく応対し業務をこなしてくれたスタッフ、ともに助け合いながら選挙戦をたたかっていただいた町内・在住校区および出身地域の方々、人目をはばかることなく快く応援弁士を受けていただいた諸先輩、街行く方々や車からの激励もいただき、皆さんの意思に応えることができなかったことに対して本当に心苦しく思っています。
「皆さんが額に汗してつくった税金や年金・国民皆保険、公共料金が生活現場や仕事現場、地域社会で実感できるような自治体へ」、政治の道を志してから私はいつも呪文のように、この言葉を自らのキャッチフレーズとしてきました。
今後とも故郷である富山市・富山市民のため、この試練を糧に容を変えながらも目的達成のため日々精進して参ります。これからも何卒、暖かいご指導・ご鞭撻の程よろしくお願いいたします。

村井宗明・文部科学大臣政務官と伴に

 11月11日(日) 文部科学大臣政務官就任(約40日後の)記念の国政報告会が、石井一・民主党副代表を招いて開催(応募数1,889件から最優秀政策提言(マニフェスト)賞に「競り下げ」が選出されたこと等を披露)。
 11月18日(日) 16日(金)の野田総理による衆議院議員の解散を受け、村井宗明・後援会の臨時役員会を開催。個人ポスター(街中2800余枚)を政党ポスターに張り替え始まる。
 11月23日(金・祝) 村井宗明・後援会事務所の事務所開き(朝)
 11月25日(日) 国会見学ツアーの一日目に参加(二日目は12月定例会・議案説明会のためキャンセル・Uターン)。行程は、「東京ゲートブリッジ」~「江戸東京博物館」~「浅草ビューホテル」~「東京スカイツリー」~「懇親会」
 11月30日(金) 労組との衆院選・選対会議
 12月1日(土) 村井宗明・夫人と伴に祝うX’マス会
 12月2日(日) 民主党県連「新人事(新代表就任)」臨時総会 ~衆院選・県連決起大会 ~選対会議(第1回の戦略会議)
 12月4日(火) 衆院選公示日(出陣式)
 12月9日(日) 第2回戦略会議・予定
 12月16日(日) 衆院選・投票最終日&開票

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